330 静岡・駿府城公園で秋を感じる
今年の8月から静岡市に単身赴任しています。
当初バタバタしていたのも何とか落ち着き、暑すぎて長すぎた夏もようやく終わり歩きやすい季節になったので、しばらくの間「地元」となる静岡の街を歩いてみることにしました。
今回やって来たのは、町のど真ん中にある駿府城公園。かつて徳川家康が居城した駿府城があった家康ゆかりの地です。本丸、二の丸の跡が公園として整備されています。
北門あたりは立派な堀が残っています。この辺りの武家屋敷の跡は静岡市きっての高級住宅街。静岡駅からは離れていますが高い人気を誇っています。
北門をくぐってかつて城のあった駿府城公園に入っていきます。
公園の中央は非常に広い広場。イベントなどもできるんでしょうが何もないときはやや殺風景に見えます。ちょっともったいない感じがしますね。それでも公園内は人も多くみられ、静岡市民憩いの場になっているようです。
紅葉山庭園
公園内には庭園が設けられていて散策を楽しめる場所もあります。こちらは紅葉山庭園。駿河の四季折々の姿を庭園で表現しています。
静岡を代表する景色である茶畑。その向こうには日本を代表し、静岡の誇りでもある富士山が築山で表現されています。
庭園の最奥は山の小径。これからの季節、小径の脇に受けられた紅葉が赤く染まってさらに美しい情景を見せてくれるのでしょう。
東御門・巽櫓
駿府城公園の東南の角に位置する東御門・巽櫓は平成初期に復元され、資料館として公開されています。
こちらは巽櫓の2階にある「竹千代手習いの間」。徳川家康は幼少時代竹千代と呼ばれ、当時駿府を統治していた今川義元の人質となっていましたが、この間、臨済寺住職の雪斎じゃら学問を学んだと言われています。本来の学習の場は臨済寺ですが、ここに特別に復元されています。天下人であっても人の子。このような場所で学問を学んぶことで一国の主となっていったと思うと感慨深いものがあります。
坤門
こちらは南西角の坤(ひつじさる)門。平成26年に再建されました。少しずつですがかつてあった城の姿が再現されつつある駿府城です。
天守台発掘現場
さて、駿河城公園はその名の通り駿河城の城跡。
その一角では天守台を発掘する調査が進められています。
こういった調査はなかなか立ち入ることが認められないことが多いのですが、ここでは一般に開放され、調査の様子を眺めることができます。
駿府城の石垣は天正期(1580年ごろ)のものと慶長期(1600年ごろ)のものの2つがあります。天正10年(1582年)に駿河や遠江など5か国を領有していた徳川家康は、この地に天正期の駿府城を築城しました。その後、関ケ原の戦いに勝利して天下人となった家康公が将軍職を辞し、大御所として江戸から再び駿府の地に戻った際に拡張工事が施されています。このため石垣も2つの時代のものが遺っているのです。この間に石垣の積み方にも変化が生じており、その違いを比べて楽しむことができるのが城マニアにとってはたまらないようです。
慶長期の拡張工事にあたっては多くの藩から人が駆り出されて石垣の建設工事が行われました。その痕跡を残そうと、各藩が刻印を石垣に遺しています。
その刻印が今も遺っているのが確認できるんだそうですが…わかりますか?
残念ながらわたしにはわかりませんでした。目のいい方、どこにあるのか教えて下さい。
おわりに
江戸時代の残り香を残しつつ、市民の憩いの場として集いの場となっている駿府城公園。春には桜が咲き誇り静岡市随一の花見の名所となるそうです。来春くらいはまだこの町にいると思いますので、桜を楽しみにまた城跡を訪ねてみたいと思いました。
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