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176 丈山の過ごした静かなる山荘・詩仙堂へ

前回に引き続き、京都・洛北の一乗寺にいます。

圓光寺をでた私はそこから歩いて3分とかからない史蹟、詩仙堂にやってきました。

詩仙堂は17世紀に漢詩人の石川丈山が晩年を過ごした山荘の跡。1641年から30年間、90歳で亡くなるまでここで過ごしたといわれています。四季折々の花や緑を楽しめる美しい庭園を持っており、中でも秋の紅葉は見事で多くの観光客で賑わいます。

現在は永平寺の末寺で詩仙堂丈山寺といい、曹洞宗の寺院として多くの信徒を抱える寺院でもあります。

詩仙堂にはもう4,5回来ています。紅葉をはじめとする庭園が美しいからというのはもちろんそうなのですが、石川丈山が私の出身地である愛知県安城市(当時は碧海郡泉村)の出身で、そこにも丈山苑という庭園があるので親近感があるのです。社会科でもほとんど習いませんでしたが。

起伏の激しい土地であることから本来凹凸窩(おうとつか)という名を持つ書院には、36人の漢詩人の肖像画が四方に掲げられています。このことから詩仙堂という名がつき、そちらの方が広まっていったといわれています。

それでは書院から庭園の方を眺めてみることにしましょう。

書院からは二方向の景色を楽しむことができます。片側はこざっぱりとした砂庭になっておりその向こうには赤く色づいた紅葉を眺めることができます。平坦な砂庭の一方で向こうの山は山そのものの姿を活かしているダイナミックさが感じられ、対照的な印象です。

もう片方向に目を向けると真っ赤に色づいた紅葉の木々が眺められます。

こんな素晴らしい景色ですから書院では大勢の人がすずなりになってみんな写真に夢中になっています。

ごらんのような状態。なかなかのカオスぶりです。

混雑する書院から庭に出ます。もちろんこちらも大勢の人が紅葉見物をしているのですが、人とぶつかるほどではありません。この庭園は唐様庭園(からようていえん)と呼ばれる中国を模したとされる庭園。漢詩人である石川丈山は中国に強いあこがれを持っており、遠くなかなか行くことのかなわない中国の地をせめて身近に感じたいという思いでこの庭園を造ったといわれています。

庭園から紅葉越しに書院を眺めます。

落ち葉を踏みしめながら庭園を廻ります。歩くたびにかさかさと乾いた音がするのが耳に心地いいです。

ときおり「ししおどし」の音が静寂を掻き切るように院内に響きわたります。叢に隠れて目立たないので間近で鹿威しの音が鳴って驚く人も結構いました。

ししおどしは今は多くの日本庭園にありますが、実はこの詩仙堂のししおどし発祥の地。もとはイノシシや鹿よけに使われた農具を改良して庭園に取り入れたものです。

庭の端で紅葉に埋もれずに残る苔の一群がありました。偶然か必然なのか見事なハート形!きっと恋愛成就の御利益があることでしょう。知らんけど。

圓光寺と同じようにこちらにもちいさくかわいらしいお地蔵さんが祀られていました。頬を寄せ合うお地蔵さんの間に偶然モミジの葉が。なんとも絵になる光景です。

美しい紅葉が見られるのはあとわずかですが、冬になるとセンリョウ、春にはツツジも美しく四季を通じて花が楽しめるのも詩仙堂の魅力。丈山が愛した詩仙堂の四季を楽しみに様々な季節に訪ねてみたいと思いました。









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