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人をつなげる


みんな孤独なのか?


通勤ラッシュの街を歩けば、イヤホンで耳を塞ぎ視線はスマホ画面に釘付け状態、無機質で早足な人の多いこと多いこと。
(職場〜自宅往復ロボット?)
飲食店にいるカップルもそれぞれにスマホを見ていて、それならなんで二人で居るの?

男女の出会いも、マッチングアプリが当たり前だとか・・・。
それって電話ならテレクラ?と同意のことをシステム化しただけでしょ?
そして、家に帰ってもSNSにYouTube、ネットゲームするんでしょ?
人生のどのくらいの割合をその画面相手に過ごすつもりなんだろう?

スマホを眺めている時間が長ければ、人と話す時間は自ずと減るし、新しい出会いもないでしょうね。
話す相手がいないから、また画面を見て過ごすわけでしょうね。
老若男女の孤独が問題視されているけれど、その原因はマッチポンプってわけですね。


スマホネイティブ世代と話してみると


「私(僕)、人見知りなんですよ」という言葉をよく耳にするように感じたりする。
それって、人付き合いが苦手だと宣言することで防御線を張ってるつもりなんでしょうね。
考えてみれば、90歳になる私の母親も昔からそんな言葉を口にしていたような気がしますが、高齢者に限らず会社や家族以外のコミュニティを持たない人の多さに驚いたりもするのだ。

反面、意外なことに、物心ついたときはすでにスマホがあった世代(2000年生まれ以降くらい?)と話してみると、相対的にコミュ力が高い子が多いように感じる。


テレビ世代とスマホ世代


今はまさにその二つの世代と、そのハーフが同じ国で共存しているわけです。

「昔は二時間番組なんかで「心霊写真特集」とか「UFO特集」、「徳川埋蔵金」などと銘打って、2時間ダラダラと引き延ばして、なんの答えも正体もわからないまま終わるヤツあったよなぁ〜」

「そうそう、懲りもせずに見てた見てた!」

「あの手の番組、最近めっきりなくなったなぁ…」

同世代の友達とよくこんな話題になります。(飲み屋ですから・・)

最終的に何も解き明かされないことを知りつつも、懲りずにツイ見てしまうというヤツです。
インターネットでなんでも調べられるようになって、不思議を不思議のままで済ませられなくなったのでしょうか?
個人的に最近ほぼテレビを見なくなったのは、予定調和に飽きてしまった所為かもしれません。

スマホネイティブ世代と話していると、その予定調和っぽさがないような気がするんです。
なんというか・・・、意外なところから球が飛んでくる感じが面白いというか、空気を読まなさ加減がいいというか・・・


異世代をごちゃ混ぜにする


カノンコードという店を始めて3年近くが過ぎようとしています。
(コロナ騒ぎと同級生です)

この店は、コーヒーやお酒を飲みながら話す場なのはもちろん、小さな音楽ライブをやったり、ギターを教えたり、またある時はリラクゼーションサロンになったりします。半年ほど前からは、stand.fm「ほにゃらじお」という、インターネットラジオ番組のスタジオにもなっています。

ここを年齢や世代の隔たりなくリアルに交流できる場にしたいなぁと思って、少しずつアウトプットを増やし始めました。

以前、「short note」というエッセイを書いたり読んだりできるオンラインのプラットホームがあって、そこにも小さいなりのコミュニティのようなものが形成されていました。しかし、プラットホームの閉鎖に伴いコミュニティも消滅した形になりました。

オンラインでもオフラインでも、人がつながるにはやはり場所が必要だということでしょう。
私がジョイントになることで世代も職業も性別にも拘らずに交流できる場所を作ることをライフワークにしたいと思いながら頑張っています。
職業も趣味も特技も違う人たちが、面白がりながら、またある時は助け合いながら小さな経済圏を作れるようなコミュニティがあちこちにできるような文化が定着したら、次世代が生きやすい社会になるのでは?なんてことを勝手に妄想しています。



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