見出し画像

『音楽文』「米津玄師2020TOUR/HYPE」私の誕生日に届いた知らせ 絶望する理由が有り余る世の中で


2020年5月8日♥17
 2020年4月29日、本当ならば上海で、「米津玄師2020TOUR/HYPE」の最終日を迎える日の筈だった。米津さんのやや素っ気ないツィートも見られたことだろう。
 2020年3月5日「今日は私の誕生日。誰もプレゼントくれるわけでもないので、米津神社の神様、米津さんのライブのトレード成功させてください。」
 その日、私は仕事の昼休みにスマホで米津玄師ライブに行くために、チケットのトレードをしていた。
 HYPEはトレードでチケットがライブ前日に取れ、福井2日目に参戦できたのだけれども、ライブ中は舞い上がってしまい、ところどころ記憶が無いので、一度も参戦できずに、血眼になってトレードしている人には不快かもしれないけど、どうしても、もう一度、行きたかったのだ。
 その祈願のためもあって、3月1日の日曜日、米津さんファン7人で私の地元にある「米津神社」に参拝し、その日から授与が始まったお守りを授与していただいた。このお守りが優しいピンク色と水色で、ちょうど今回のツアーグッズの「リイシューねこちゃん」の色とお揃いで、この神社の関係者が米津さんのツアーグッズのことなど知るわけもないのに、不思議な縁を感じた。
この神社は「米津町」という町の氏神様で、周りには「米津」という名前の付くものにことかかない。神社参拝の後には、米津羊羹本舗さんの「米津羊羹」、御菓子司 上田屋さんの「よねまん」というお饅頭と「米津橋」というブッセを購入し、「米津橋」のたもとでみんなで写真を撮った。米津羊羹本舗さんの店主も米津さんのファンということで、図々しくも一緒に写真を撮っていただいた。集まった全員がツアーが継続されるかどうか不安だったと思うけれど、笑顔で楽しい時間を過ごした。
 「米津玄師2020TOUR/HYPE」中止及び延期のお知らせを受け取った時は、やはりと思ったけれど、体中の力が抜けた。そして、真っ先に思ったのは、「進化」を遂げるように日々変わってゆく米津さんが半年後にまた同じことをするのはつらいだろうな、ということと、米津さんは口が裂けても言わないだろうけど、個人事務所である米津さんの所属事務所の金銭的な損失はいかばかりだろうかと。
 でも、苦渋の末の英断だったと思う。
 もし、自分が参戦して新型コロナウイルスCOVID-19に感染したとしたら、米津さんに迷惑をかけたくないばかりに、感染を隠したり、感染場所であるライブ参加に関して口を噤む気がする。米津さんのファンの多くはそういった気持ちを持ってしまうのではないだろうか。自分たちだけ良ければよいという、冷静さを欠いた、米津さんが忌み嫌うであろう行動をとってしまったかもしれない。そういった事態を招かずに済んだと思う。
 今回のツアーは選曲もMCも生きづらさを抱えた子どもたちへのメッセージが籠められたライブだったと思う。選曲はこれからのことがあるので、ここで言うのは控えるけれど、MCで「昔、友だちもいて、それなりに楽しい瞬間もあった。音楽を作り始めて、はじめはパソコンの前でやっていた。その時はこんな風になるとは想像もしてなかった。こんな沢山の人の前で、ステージに一人で、一人で?一人か。昔の自分を連れてきたら卒倒すると思う。昔の自分みたいな人がここに何人いるかわからないけれど、人生はいい方向にも悪い方向にも転ぶ。だから人生楽しんでいきましょう。そんな話をしたくなりました。」
何せ、舞い上がっていたので、正確ではないかもしれないけれど、こういった趣旨のことを言っていた。そして米津さんはとても楽しそうに「見えた」。それは、真実、楽しいのか、楽しそうに見えるように振る舞っているのか、それともその両方かは本人にしか、いや本人にも明確には分からないかもしれない。
 絶望する理由が有り余る世の中で、これから大人になる子どもたちに、そんなに悪い事ばかりじゃないよ。孤独だった自分でさえ、こんなふうに楽しく生きている、ということを伝えたかったのだと思う。
 今回のライブ中止による金銭的な損害を埋めるために米津さんは不本意な仕事を引き受けざるを得ないかもしれない。でも、その中で必要と思われるもの、どうしても肯えないものを見極めて進んでいくのだろう。自分の正しいと思うことだけではなく、責任や守るべきものと折り合いをつけていく様を子どもたちや私たち大人にも見せてくれるに違いない。それが真の大人の生き様なので。

そして、米津さんの声明にあったように「お互い晴れやかにまた会えますように」。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?