『鬼滅の刃』胡蝶しのぶと〝女としての幸せ”

 小学生を対象にした「憧れの人物ランキング」の3位に人気漫画『鬼滅の刃』の「胡蝶しのぶ」が選ばれました。

1位は何と言っても「竈門炭治郎」…

1位は何と言っても、本作品の主人公の「竈門炭治郎」、2位は可愛らしいことに「お母さん」でした。今回、『鬼滅の刃』がこのランキングを席巻しトップ10のうち7人が『鬼滅の刃』の登場人物ということで、この作品の子どもたちへの影響の大きさが伺えます。

鬼滅の登場人物のうち、主人公の次に選ばれたのは「胡蝶しのぶ」。女性キャラクターでヒロインと呼べるのは炭治郎の妹の竈門禰󠄀豆子。その禰󠄀豆子よりも上位だったのです。

彼女は主要人物のひとりではあるけれど、登場回数がそんなに多いわけではない。にもかかわらず、その彼女が数ある魅力的な登場人物のなかで主人公の次に選ばれたのです。

胡蝶しのぶの弱点

この漫画は鬼殺隊と呼ばれる鬼狩りの剣士と人食い鬼との闘いを描いているのですが、鬼殺隊の位の高い剣士(つまり強いということなのですが)は「柱」と呼ばれ、「胡蝶しのぶ」はその一人。

通常、剣士たちは鬼の頚を日輪刀と呼ばれる特殊な刀で切って、鬼を倒すのですが、彼女は体が小さく刀を振る筋力が弱いため柱の中で唯一鬼の頚を斬ることができません。

そんな弱点を持つ彼女が、どうやって鬼を倒し「柱」にまで上りつめたのでしょう。

自身の開発した鬼殺しの毒を、日輪刀を通じて注入することで鬼を倒し、唯一無二の剣士となったためです。彼女は頚を斬らずに鬼を倒すことができる唯一の「柱」なのです。

鬼の頚を斬るために筋力を鍛える、または剣士にはならずに後方支援にまわるという生き方をしなかった、それがさらりと描かれていることは私にとっては感慨深いものがあります。なぜ、私がそんなふうに思うのか、それを説明するには私のフェミニズム生育歴をお話しないとわかっていただけないと思います。

私のフェミニズム生育歴

私が大学生の時、「フェミニスト」という言葉の意味が変わりました。

それまで、「フェミニスト」というと女性に優しいーあまりいい意味ではなく、女たらしのような意味でー男性のことを指していました。それがフェミニストとは、全ての性が平等な権利を持つべきだという理由から女性の権利を主張する行為「フェミニズム」を支持する人という風に。

その頃、ドラマでよくこんなパターンで終わるというのが流行ってました。

仕事が面白くなってきた女性が恋人から結婚を申し込まれる。幸せなことの筈なのだけれど、彼が海外赴任が決まっていたり、女性は家庭を守るものという考えを持っていたりして、結婚するには仕事を諦めなければならない。ヒロインはどちらを選ぶかというと、必ず仕事を選ぶ。そしてそうすることが正しいこと、かっこいいこととして、描かれていました。

当時、現実は違ったのですけどね。

また、私は女子大に入ったですが、そこは男性がいない分、純粋な理想主義が息づいていました。女性の先生方も多く、名字を変えると困るー研究者としての実績を証明するのは「名前」だけなためーので、事実婚を選ばれている先生もみえました。

女子大ですくすくと、理想を胸に就職活動をしました。今から30年近く前のことです。当時は結婚したら、あるいは出産したら、暗黙の了解で仕事を辞めなくてはいけない会社はたくさんありました。女性も男性と同等にはたらくのだという理想で頭が一杯の私も、さすがに考えました。就職本にこの職業は男女差別がないと書かれていた職業に就こうと思い、幸運なことに就職することができました。

本には、その職業は男女差別がないと書いてありました。

就職してみたら

最初に、憶えなくてはいけなかったのは、課員の男性全員の湯呑とコーヒーの好みでした。それと当時は自席で当然の様に煙草を吸っていましたから、その各自の灰皿を洗うこと。

もちろん、同期の男性職員はそんなことはさせられていません。

女性の先輩たちは、お茶を出したり、灰皿を洗うことに疑問を持つ人はいませんでした。それよりも、男の人達に可愛がられること、要領よくそういったこともこなすことに重きをおいていました。

勝手に理想に燃えていた、私はがっかりしました。でも、今考えれば頭でっかちなだけで、要領が悪い自分は仕事で役に立つわけではなかったので、お茶くらい、笑顔で淹れていたら周りに可愛がられ、得しただろうなとは思います。でも、当時それを肯うことのできなかった自分。それが自分という人間なのだな、仕方ないと思っています。

その後、10年くらい経つとお茶出しはしなくてよくなりました。別に男女平等になってきたわけじゃないですよ。お茶出しを頼むと喜んでやって、半日くらい給湯室でしゃべっている女性職員が入所してきて、それでは、まずいということで、女性職員のお茶出しはなくなりました。

そして、その頃、私の担当する仕事が忙しくなり、男性と同じように遅くまで残業をし続けたことがありました。

女性の体からの復讐

最初の悔しさがあったため、女性だから、家庭があるから帰りますとは言えなかったのです。男性とは体力が違うということは、ないと思っていました。

けれど、男性と同じ働き方は、当時、小学生と保育園の子どももいて、仕事が忙しい主人には助けを求めることもできなかった自分には体力的に無理でした。

その結果、女性特有の器官が病に冒され、切除することになりました。

女性である自分の体に復讐されるように。

男性と同じーかなりな残業を強いられるような働き方ーに働くのは、女性は体力的に難しいということは、身に染みました。

もしかしたら、女性であるという作者の吾峠呼世晴先生も同じような感情を持ったことがあるのかもしれないなと思うのです。

胡蝶しのぶは、鬼の頚を斬れないという自分の弱点を、斬れるように自分を鍛えるのではなく、鬼殺しの毒を開発し、それを使うという方法をとって克服します。

男性と同じになるのではなく、彼女の個性、特性に見合った方法で仕事をしていく。

これは、男女だけにとどまらず、ダイバーシティー多様性ーを活かす生き方にも通じると思います。

〝女としての幸せ”

漫画の最後には、胡蝶しのぶの分身のような少女栗花落カナヲが〝女としての幸せ”を掴んだことを思わせる場面が描かれます。

だけど、皆さん、〝女としての幸せ”という言葉を聞いた時、どんな〝幸せ”を思い浮かべましたか?

結婚して、子どもを産んでという〝幸せ”を思い浮かべたのではないでしょうか?

私もその意味で文章を書きました。

今、たいていの人はそう思うでしょう。

これが、〝女としての幸せ”という言葉がピンとこない、つまり、人によって幸せは違うと、たいていの人が思う時が、男女平等となったといえるのではないでしょうか。

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