かのこのにっき_2015-01_06

#かのこのにっき

@15-0112

成人の日。道すがら、小奇麗な着物に身を包んだ女性が数人歩いてゆくのを眼にする。フレッシュ☆ ですねぇ。

わたくしの成人の日といえば……(出た!わたくしの○○話。だけど思い出だけでは終わりません。たぶん……)

当時、美術大学を目指して浪人中だったわたし。成人を迎える歳で浪人ということは……2浪目であった。
今期こそは合格しないと! 3浪など無理・むり・ムリなのだ!!!
切羽詰まった心持ち(だったかどうかは、かなり怪しい)で、その日つまり成人の日も予備校に向かって緩やかな坂を歩いていた。

東京多摩地区。わたしが高校卒業後に上京して最初に暮らした地域。近郊に美大があったりなんたりの影響か、似たり寄ったりの人種が多く住まっていた。念願の一人暮らしを始めたばかりということもあり、浪人生ながら実に活き活きと日々を暮らしていたように思う。

で。
ハタチになったわたしは、JR(当時「国鉄」だったかも!)某駅より徒歩10分ほどの奥まった場所にある怪しい木造アパートから、駅に向かって歩いていた。途中、某経済大学があるのだが、正装や袴・羽織、少数の振袖が学校に向かって歩いている。つまり、いつもの冴えない普段着の成人サンのわたしは、正装の小綺麗な成人サンとすれ違いまくるという絵面。

成人式を終えてガッコに向かっているのか、ガッコで行事があるのか。そんなことは知ったこっちゃない……など少々の強気を見せながら(誰に?)、足早に予備校に向かっていたのであった。

して、予備校では石膏像を見上げながら……いや静物だったかしら、鉛筆カリカリとデッサンかなんかやっとったですよ。なにしろ年明け、受験まで2カ月もないのであって、しかも崖っぷちの2浪目なのであって、振袖フリフリとかやってられんのですよ。
とそこへ、遅れて予備校にやってきた同じく2浪組の仲間を見て驚いた。化粧をバッチリとしてきちゃった〜。理由はもちろん「成人の日」だから(笑)。

今でこそ高校生でもしっかり化粧をしちゃう時代だろうに、当時の私たちはせいぜいベースかパウダーはたく位で。まぁナチュラルといえば聞こえは良いが、単にとっ散らかってる素朴な人種だらけだったのでしょう(けど、それぞれが実に個性的なのだ)。

成人の日は、そんな徒然をかすかにも思い出すこと多し。

ところで。その後わたしは、うようよ紆余曲折を経て今に至るわけだが、途中なにをトチ狂ったか通信制大学へ編入し、なんとヨタヨタ6年も在籍していたことがある。そう遠い過去ではないが、先日、卒業からの年数を指折り数えたら9年ほど経っており、いつの間にそんな年月が過ぎたのかと軽く驚愕。

大学在籍6年の間にわたしは、自己の抱えてきた諸問題に取り組むこととなり、並行して学業をちまちまとやりつつ、一時期は引きこもり、一時期は何足のわらじを履いているのか自分でもわからない状態でしごとをするような、極端な暮らしをしていた。

その間の学業は、3年次編入にもかかわらず「卒業」の見通しもなく、集中もできず。このまま在籍期限が切れてフェードアウトしちゃうのではないか、くらいの進み具合の悪さが続いていた。
それが、、あれは在籍4年半くらいのことだったろうか。弟があるアクシデントを起こし、両親をも上京してくるハメになったことがある。当時、父はまだかろうじて「認知症」となっておらず、母も膝がまだ動いていた頃だ。小さくなった両親を引き連れて、超雑踏の横浜駅の中央通路を突っ切って行ったことが、たった今、リアルに思い出される。

この時のエピソードは、時期がきたら この辺 で諸見解をあげるとして、ここでは端折るが、
なんとこの時、十数年ぶりに「家族」総員が集合したのだった。その時の出来事が、わたしにある種の 諦め決意 を呼び覚ました。

「とっとと学校も親も《卒業》して早く自律(自立)せねば!」。

このあと3つほどの仕事を掛け持ちながら、怒涛のようなレポート消化や、地方にまでスクーリングを受けに行くなど、朋友も目をクリクリさせてビックリするほどのスピードで卒業までこぎつけた。ちなみにこの時に書いた学士論文は、今のライフワークにつながる「表現アート」をテーマにしており、珍しい内容に助けられたか、ありがたい評価をいただき保管論文として出身校に残された。

果たして卒業式。その日は朝から都内へ。学校はこれも何の因果か東京多摩地域。つまり、学校まで大きく遠回りして向かったのだ。理由は……

実は、怒涛の単位修得のプロセスで、決めていたことがあったから。

「卒業式には着物を着せてあげよう! アンティーク着物!」

デスク前の壁に、A4サイズの紙に書き出したのを貼り付けて、励みのひとつにしていた。
このとき確か37とか38でしたかな? 40に乗るまでには何とか区切りをつけたいと切に思っていたのだ。

そして、今につながる、おおお大きな変容のきっかけとなった6年を、よく乗り越えました。と自分で讃えてあげたかったのだ。いうなれば自分へのご褒美、である。

朝も早ようから横浜の自宅を出て、代々木のレンタル着物屋さんへ行き、着付けと髪結いと写真撮影をしてもらい、そこから多摩地区の学校へと向かった。いんゃもう、距離ありすぎて少々遅刻ぎみのギリギリ。なれない着物でアタフタと。予告なしの着物で現れたわたしを見て仲間が驚いたのも言うまでもない。

祝いの儀式のあとは……仲間総出でカラオケでハッチャケました♪(もちろん着物のままで)

リアルハタチでは祝えなかったけれども、「ハタチのような区切り」はいつでも祝えるんだね。などと言った人は誰もいませんが(爆)、わたしにとって実に象徴的な、そして感慨深い「ハタチ」の祝いになった。
むしろ、リアルハタチを当時やれなかったことが、わたしにとっては目標を達成するための起爆剤のひとつとなり、もっといえば、「卒業」を目指して日々ひさしぶりに集中できたことが、おおきな自信に繋がったのだ。

人生のなにが自分を陥れるか分からないと同時に、なにが活かしてくれるかも分からない。だからこそ、自分の人生の機微を余計に、ちくいち、チマチマと、大事にしたくなっちゃうのであ〜る。


※しばらくアプリ経由でエントリを強いられそうなので、3〜4日分ではなく、1〜2日分をチマチマとアップしてみることにしました。


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