見出し画像

安アパートのようなこころ

最近流行りの性格分析や心理テストを受けるときによく出てくる、

相手の気持ちが手に取るようにわかることがありますか?

みたいな類の質問、みんなどうやって答えているんですか。

私は自意識過剰で神経過敏なところがあるので、誰かと相対しているときは無意識に相手の気持ちを読もうとしている気がする。他者の表情・言葉の間合いの微妙な変化などを受け取れば、脳がそれを言葉にする前に、精神が「相手の感情」という情報に勝手に変換して心にさざ波を立てる。

ただ!
ただそのことだけを以ってこの質問に「よくある」だなんて答えていいのか!?という葛藤。

だって一度も答え合わせをしたことがないのだ。
相手からほのかに "キレ" の芳香を感じた瞬間、欠かさず「え!!怒ってますか!?」と訊いて毎度おでこパンチを食らっているのであればまだしも、そうでない限りこれは「高頻度の思い込み」だろう。

なのでいつも「どちらともいえない」と答えて、次の

失敗を引きずってしまう
ひどく落ち込むことがある

「よくある」と答えていると、最後に

あなたは感受性と共感力が高く、相手の気持ちをすぐ感じ取ることが出来ます!

と結果を言い渡されて、不服……と思いつつ数か月後にそれを忘れてまた心理テストを受けている。感受性の高い人が「感受」しているものは客観的にどれだけ正確なのか、という議論は思ったより耳にしないなぁと思う。

自分の「感受性の正確さ」のことを考え始めたのは、この文章を読んだことがひとつのきっかけだった。軽い気持ちで受けた診断でも「あなたはこうです」といざ言い切られると、多かれ少なかれ私たちはそれに影響を受けて、一部を内面化することもある。

実際、感受性や共感力が強みと繰り返し言われる度に、最初は明確にあった「言うほどか?」という違和感もなんだかモニョモニョとぼやけていく感覚があった。
でも一歩引けば極端な話、
「自分、感受性や共感力が取り柄ッス〜!相手の気持ちが分かっちゃうんスよ〜〜〜」
って言ってる奴が目の前にいたら、その態度自体が無謀かつデリカシーが無さすぎて (こいつこの世で一番共感力が低いな……) と思うだろう。
気付いたら自分がそっち側に行ってたら怖すぎるけど、こういう類の狂気の入口ってそれこそ心理テストの結果を見ている時とか、スーパーの帰りに考え事をしながら近所を歩いてる時に目の前でぱっくり口を開けて待っているものだと思うので、時間の問題なのかもしれない。嫌だ!!!!!!!

結局、言葉を伴わないコミュニケーションでの私自身の過敏さは正確さを伴うものではなく、他者と自分を隔てる皮膜の脆さの話でしかないということを肝に銘じておかなければいけない。
壁の薄いアパートに住むと隣人の物音に敏感になって気が滅入るのと同じだと思う。隣人が実際に何をしているかまでは分からないけど、このドスドスという音はストレスのあまり家具をぶん殴っているに違いない……と壁の向こうを想像して怯えたとしても、本当のところは手打ちうどんの生地を踏んでいるだけかもしれない。実在するおいしいコシの向こうに殴り倒される自分の幻影を見て怯えるような生活をするくらいなら、もう少し壁の厚い部屋に引っ越した方がいい。

しかも余談として、こういう他者との境界線の脆さは神経発達症=発達障害のグレーゾーンにも当てはまる傾向らしいので、不便さに目をつむって強みだ強みだと持ち上げる前に、打てる手があるのかもしれない。今のところどこかを受診するつもりはないけれど、それは心に留めておかなければと思う。

オチが思いつかないので、この前まちなかで見かけたフワフワのススキを貼ります。これを背中から生やして宝塚の舞台の階段を歌いながら降りていきたい秋だぜ。



スキすると鹿の子の無責任占いがついてきます