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命綱を手放さない私、私たち
また大学から「君たちが疫病に気をつけろよ」というメールが、届いてしまった。
どんな前置きやフォローをされても、「企業」としての大学を運営している人たちがその面子を保つために私たちに釘を刺しているのだと、痛いほど感じる。
スゥーーーーーー…
もうみんなめっちゃ気を付けてるけどね!?!?
フーーーーー…
失礼いたしました。
頑張ってレポート書いても単位落とす時は落とす。
頑張って仕事探しても見つからない時は見つからない。
そしてどんなに頑張って生きてても、体が言うことを聞かないことなんて山ほどある。
そういう日々を一遍送ってみてほしい、思い出してほしい。そして言霊を大切にしてほしいものだと心から思う。そのメールを出せと命じている人に。
正直、例えばここで昼間からお酒大量に飲んで何日も過ごしてぶっ倒れたりしたら楽になるかなとかほんの少し考えてしまう自分もいる。
つまり命綱を離して、見えない谷底にバンジージャンプをするのである。
谷底はもしかしたら剝き出しの鉄塊の山で出来ているかもしれないし、無印の人を駄目にするソファとかで出来ているかもしれない。死ぬかもしれないし、死なないかもしれない。
でも私たちなんてたまたま今死んでないだけなのだから、それでもいいんじゃない?
わかる。でも私は命綱を手放せない。
なぜなら、青筋立てて無様に命綱を手繰り震えながら渡り切ったその先に、まだ撮れていない写真や、完成していない動画、書けていないもの、聴けていない音楽、見ることが出来ていない誰かのいい顔があると、根拠もなく信じられているからだ。
周りを見渡すと、他にも撮れていない映画や迎えられていない千秋楽、クリアできてないラスボス戦、大切な人の未来、とにかくまだ巡り合えていない、私には想像もつかない何かを目指して命綱をちぎれんばかりに握り続けている人たちがたくさんいる。
そういう人たちに囲まれているなら、もうちょっと頑張ってもいいかもしれないと思える、のである。
…こういう当たり前のことをいちいち忘れないように書いてないとやってられないような、そんな日々なんですけど。
今年は手を差し伸べてくれる人を無視しない&失敗の免疫をつける年にしたいと思ってるので、みなさんの力も借りつつ、死なないでいようと思います。
生きてまた会おうね~
スキすると鹿の子の無責任占いがついてきます