「百年の孤独」を読んで
ガルシア=マルケス「百年の孤独」を読んだ感想というか備忘録。
⚠️ネタバレ含みます
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マコンドという小さな村から始まったブエンディア一族の、閉鎖的自家中毒的滅亡までの百年の孤独の物語。
それは他の何かに投影することも可能だろう。例えば地球に於ける人類の誕生から滅亡までの孤独とか、宇宙に於ける地球の誕生から滅亡までの孤独とか。この物語から何か普遍的な人間の営みが見えてくるだろうか?
死者と生者があたりまえに共存し、生きているような死者と死んでいるような生者が存在している。時の流れは魔術的に圧縮されている。
キリスト教伝来
呪縛が幅をきかせた辺境の村にキリスト教がやってくる。
外からやってきた町長が、娘と一族の男との結婚のために神父を呼び寄せた。その神父が、マコンドに信仰を根付かせた。
私が注目したのは「情を通じている者を正式に夫婦にし」という部分。
正式な夫婦という概念がここから生まれたのだろう。その後も村には色々な “文明” が伝来するが、信仰も外からやってきたのだ。
2タイプの男と2タイプの女
ブエンディア一族の男には、ホセ•アルカディオとアウレリャノの2種類しかいない。息子や孫に同じ名前をつけるからである。
一族の始まりの母ウルスラは不安に思う。
名前が2種類で性格、運命も2種類に宿命付けられている。
そして一族の女もまた、奔放タイプと勤勉主婦タイプに分かれている。
(最後のアマランタ•ウルスラのみ複合タイプ?)
登場した一族を数えてみると (私調べ)
ホセ•アルカディオ 5人
アウレリャノ 21人
奔放女 7人
勤勉主婦女 4人
アウレリャノが圧倒的に多いのは、アウレリャノ大佐があちこちで産ませた17人の子どもが全員アウレリャノだからである。
6代の間に
結婚で生まれた子が9人
婚外から生まれた子が4人
+17人のアウレリャノ
案外少ないのは、閉鎖的な暮らしだからだろう。
これらの一族を俯瞰して薄目で眺めてみると、「家」を維持する女がいて、破滅にまっしぐらの男の周りに女王的女、娼婦、などが配置されている。
意外にも親子関係はとくにない。一族は絶対母のウルスラが仕切り、子どもは適当に誰かが育てている。
それでいてプログラムされたようにハリガネムシに寄生されたカマキリのように男達は同様な破滅に飛び込んでいく。
風の時代に
この物語では、一見すると荒唐無稽な超常現象がとくに説明もなく語られている。心霊的なものが当たり前に存在している世界は古代的、神話的でもあるが、そこで暮らしている一族はあまりに不自由で縛られていて悲劇的である。それが「孤独」という言葉に象徴されている。
村から出ていく者も勿論いるし、向こうから文明もやってくる。
時に謎の大量訪問が一族の家を掻き乱す。
17人の息子がやってきて、ばか騒ぎをして去って行ったり、クラビコードの学校へ行っていたメメが68人の級友と4人の尼僧を連れて来て大混乱になったり。(トイレが足りなくて72個のおまるを用意する)
この騒動はいったい何のメタファーなのか。
そして4年11ヵ月2日続いた雨とその後の10年の旱魃。
はちゃめちゃに思えるが、これが圧縮された歴史となればなんとなくわからなくもない。
どこからかやってきて定住して滅亡していく。
風の時代と言われる今、この物語を読んでみて、孤独こそが自由であり強い意思の表れなのではないかと肯定的な読後感を味わっている。
〔参考〕新潮文庫 ガブリエル•ガルシア=マルケス 百年の孤独 読み解き支援キット/池澤夏樹監修
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