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吉田棒一「10 to 10 past 10」を読んで

先日の文学フリマで購入した「棕櫚10」というアンソロジーから、吉田棒一さんの小説「10 to 10 past 10」を読んだ。

何かの拍子に吉田棒一さんの「俺太郎」という小説を読んで虜になり、note内で読める作品はすべて読ませていただいてからの今回の作品は、トリッキーなギャグ作家と思っていたらガルシア=マルケスだった、という意外性と衝撃があった。

ひとりの不良少年の半生が淡々と、生い立ちもうまくいかなさも暴力もすべて淡々と語られていく。

吉田棒一さんの書かれるものにはよく不良が登場する。不良という存在への温い眼差し?が作品にも現れている。

私は不良と関わりたくはないが関心はあり「ケーキの切れない非行少年たち」(宮口 幸治)や「あふれでたのはやさしさだった  奈良少年刑務所 絵本と詩の教室」(寮 美千子)などの本を読んでみたことがある。
彼らは支援を必要とする子どもたちであり、それは本当は小2くらいまでには判断されるべきものだという。
彼らの特徴の一つとして、先のことを考えることができない。だから将来のために努力するとか未来のために我慢するなどができないのだそうだ。
マインドフルネスではイマココ!を大切にと言うが、常にイマココで生きているのが不良少年ということになる。

この小説の主人公もずっとイマココを、支援などという生ぬるいものとは無縁に、生き抜いている。抑えた語り口がかえってその非情さを示してくる。そして不穏なラストで読者の心に澱を沈ませるのだ。


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