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MOT【シナジー、創造と生成のあいだ】

東京都現代美術館


東京都現代美術館で開催中の「MOT ANNUAL 2023  シナジー、創造と生成のあいだ」を観てきた。
「創造」と、近年社会的注目を集める「生成」のあいだを考察する、若手作家を中心としたグループ展である。
とても良かった。
乱暴に言ってしまえば、現代アートがネクラからネアカになってきた、あるいは暗いも明るいもないスタンダードなものになりつつあるのかもしれない。
もともとテクノロジーと親和性の高い分野だから、創造と生成は二項対立ではなく行ったり来たり、またはグラデーションという捉え方はどの作家にも共通していた。


印象的だった作品について。

後藤映則

1984年生まれ。原初的な映像メディアと現代のテクノロジーを往来し、動きや時間、目に見えない事象やフィジカルとデジタルの関係性に着目した作品群を発表する。3Dプリントとスリット光源によるオブジェや、コロナ禍を経て人々が向かう先を問いかける作品、昼と夜の光で変容する大型屋外彫刻を展示する。

展示チラシより
写真では伝わらないが変化し続けている
大きい人と小さい人
ぐるぐる

狭い入り口から展示室に入ると真っ暗だった。実はたまたま私が入ったとき、足元の誘導灯が消えていて、室内が完全な暗闇だった。
あかりは作品の光と、スマホの光のみ(撮影可)。観客と監視員の人影は真っ黒。これはかなり面白い体験だった。
2周目観に来た時は足元の灯りがついていて、最初の真っ暗闇との差を感じた。やはり完全な暗闇の中にいると研ぎ澄まされる感覚があり、作品に対する入り込み方が違った。
展示方法として真っ暗闇は面白いが、現実的には安全面で無理だと思うので、たまたま体験できてよかった。

(euglena)

1993年生まれ。中華系タイ人とペルー生まれ日本人の両親のもと、日本に生まれ東京で活動する。
「無垢に自身を再認識する」をコンセプトに、タンポポの綿毛で構築された、人工的な動力に拠らないインタラクティブ作品を制作し、心理学や身体をテーマとする作品も手がける。本展では、種子にならなかった綿毛を用いた近作を含め、テクノロジーのサイクルとは違う時間の流れを可視化し、内的な時間へと誘う。

展示チラシより

こちらの展示は撮影不可なのだが、展示室を出るとQRコードが掲示されていて、写真がダウンロードできてSNSにも利用して良いとのこと。こういう仕掛けは今の時代に合っていてとても良い。
綿毛の作品は繊細で美しく微かに揺れていて、大気に包まれた地球の命の奇跡を見るようだった。

花形槙

1995年生まれ。加速する資本主義社会においてテクノロジーによる新たな身体を模索し、自己と他者、人間と非人間の境界を往来しつつ、「私」ではなくなっていく、「人間」ではなくなっていく肉体についての実践やパフォーマンスを展開する。本展では身体にカメラとヘッドマウントディスプレイを装着して視覚の位置を転移させ、人の動きの再構築を試みる展示を行う。

展示チラシより
ドローイング
ドローイング

視覚の位置を変えることで這いつくばって移動するパフォーマンスの映像を見て、真っ先に思い浮かんだことがある。
2016年11月のNHKスペシャル宮崎駿特集の中、ドワンゴ川上会長が見せたAIが作った気持ち悪い動きをする人間の映像にに宮崎駿が激怒したというもの。
AIは痛覚や頭が大事という概念がないので、頭を足のように使った人間には想像できない気持ち悪い動きをする。こういうのをゾンビの動きに使えるのではないか、という提案に宮崎駿は、身体障害者を連想し、不快感を露わにして「極めてなにか生命に対する侮辱を感じます」と言ったのだった。
この映像は私も見ていた。私はゾンビに親しみは持てないので、ドワンゴの映像には確かに不快感を持った。
あれから世の中はいくらか変化し、AIの性格もなんとなく浸透してきて、人間とAIの融合も進む一方で、あらゆる場面で多様性が言われるようになった。ゾンビに多様性が適用されるかわからないが「気持ち悪い」ではない可能性もなくはないと思えてくる。
人間はギリシャ彫刻の時代から自分たち人間の姿が大好きなナルキッソスだ。アンドロイドも、どうしても人間型がいいらしい。
ただ、リアルに人間の姿をしたアンドロイドができたとして、その視覚にあたるセンサーが顔にある二つの目の位置にあるとは限らないだろう。
歩き方も、二足歩行なんていう不安定なものではないかもしれない、それこそゾッとするような動きをするのかもしれない。
そんな妄想が駆け巡った展示だった。




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