精神衛生とバイアス

また、気分が落ち込む夜を迎えた
下がった気持ちはどうする事もできず、ただ唸りながら時間が過ぎるのを待つしか解決策はない

かくいうわたしは大事な試験を明日に控え、時間が過ぎるのを待っていてはいけないのだが、勉強も手につかないし、心情を吐露することで発散していけたらと思う

自己分析をすると、今のこの気分の落ち込みは、不安や後悔によるものだ
まあ誰しも落ち込む原因は大体これか



わたしは人より長く学生をしているせいで周りの同級生たちは就職し、中には結婚した人もいて、世の中から取り残されている気がしている

日中の元気な頭では
「わたしが取り残されているのではなく、周りがレールの上で程よい幸せで満足しているだけ!』
と、強気でいられるのだが、夜はだめだ

そんな程よい幸せで幸せを感じられる素直さが羨ましくなる

見下しているわけではない
自分に何らかの可能性を感じ、ビッグになると信じて疑わないだけだ
だからこそ、”一般的な幸せ”がどうしてもわたしにとって幸せじゃない


なぜ、誰かに会ったわけじゃないのにそんなものを目にするかというと
他でもない

Instagram(以下インスタ)のせいだ


タイトルにもある「バイアス」がインスタには蔓延っている
インスタのバイアスは、出版バイアス

出版バイアスとは、否定的な結果が出た研究は、肯定的な結果が出た研究に比べて公表されにくいというバイアスである。公表バイアスとも言う。

Wikipedia

つまり、多くの人間が、良いことしか載せない
変に幸せばかりが詰まったプラットフォームなのだ


そんなものを四六時中見ていたら頭がおかしくなるのは当然で
SNSネイティブの現代人は多かれ少なかれそういった苦悩を抱えているのかもしれない

高校生の頃、恋人との惚気話よりもテスト前のノー勉アピールの方が安心して聞いていられたあれに似ている

デジタルデトックスなんて言葉が生まれたのもそう言う背景があったからだろう



そして何より、そんなことに気分が左右されている自分に嫌気がさす




本当は、世界と自分を切り離して、朝は好きな音楽でも聴きながらコーヒーを淹れたり、本を読んだり、文章を書いたり、運動をしたり、勉強までしてみちゃったり、

そうやって、インスタに載せる目的ではない、本当の意味での、「丁寧な暮らし」がしたい

時間がある日はどこかに車を走らせて趣味のフィルムカメラで写真を撮ったり、新月の夜は山に星を見に行ったり、隠れ家のようなカフェを見つけて固めのプリンを食べたり、遠くの友達に手紙を書いたり、絵を描いたり、歌を歌ったり、


こんなにやりたいことがあるのに、何を暇人ぶってSNSに時間を費やしていたのだろう

本当に無駄なことをした

人生もったいなかった


完全にソクラテスの問答法になってしまったが、答えが出た

思考力も視力もインスタに持って行かれてたまるか


みんながインスタに脳みそ食い荒らされている間に勉強しよう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?