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【結末】 舐達麻 vs YZERR

 2023年12月、日本のHIPHOP界では(一部がDecemberとかけてディスセンバーと表現したほど)盛り上がったビーフがあった。
 「舐達麻 vs YZERR」である。

 12月1日に舐達麻がBAD HOP(とりわけYZERR)にディス曲を送り、それに対して年が明けて2024年1月28日にYZERRがアンサーでディス曲を返した。これによって(互いに曲を出した事もあって)“一旦”ビーフは終わったと見ている。

 本稿では、あくまでも現段階で、世間的にはどう評価されていて、客観的にはどうなのかを論理的に見ていく。なお、私にはどちらの味方とかはない。しかし、一人の考えという意味ではある種主観的な部分もあるかもしれない。よって、あくまでもその点は当然に留意いただきたい。



結論と世論

 先に結論を述べると、曲は引き分けだと考える。
 しかし、それはつまらない回答だ。強引に勝敗をつけるのであれば、私は舐達麻に軍配があがると考える。しかし、本稿では結論的なことよりも本質を重視し、より論理的に見ていく。

 なお、世論は現段階においてYZERR側に傾いている。世論については、人間である以上、論理では無く感情や感覚的なものに支配されている部分も多い。また、SNS上のコメント等は所詮誰でも自由に書けるものである(世論の思考については最後に述べる)。
 しかし、一般的及び全体の評価は①曲の質、②当事者で起こったこと、からみるべきである。

舐達麻 『FEEL OR BEEF BADPOP IS DEAD』

 まず、舐達麻がディス曲を出した時点では、圧倒的に舐達麻が優勢であった。それくらい、曲のクオリティが高かったからだ。ディスとしても強いし、曲としても聴けるような出来栄えだった。世論もそれを評価した。
 BAD HOPのリスナーは何とか舐達麻をディスろうと必死にコメント欄に出現していたが、この曲のリリックに「叫ぶだけ叫んでろ誰かを下げて」や「集う信者」等と謳われていることから(すなわち舐達麻側の事前のカバー力が高かったことから)、虚しく響くだけだった。


YZERR 『guidance』

 舐達麻の曲から約2ヶ月後となったYZERRのアンサー曲も、かなり良くできたものであった。
 舐達麻が曲を出した時に世論が支持したのは、そのクオリティの高さが凄まじく、多くの人がYZERRの負けを確信するほどだったからだ。また、YZERRはBAD HOPの東京ドーム公演やアルバム制作、その他で多忙だった為、舐達麻の曲に対してアンサーせずに逃げる言い訳は十分にあった。こういった状況で舐達麻の曲と互角に戦える曲は出ないのでは無いかと世間ではネガティブに考えられていたのだ。
 しかし、この通りにしっかりとしたアンサー曲を出し、YZERRも正当に評価された。

 こういった曲の投げ合いで日本のHIPHOP界が盛り上がり、一時期懸念されていたような暴力的な結末に(少なくとも今は)至っていないことは、勝敗を度外視して良き事だと思う。

そもそも何が原因でこうなったのか

 仮に両者の曲に勝敗をつける場合は、ことの背景を無視して曲そのもので比較するべきかもしれない。ビートの良し悪しはそうやって決めればいいが、彼らはラッパーであり、リリックこそが重要な部分だ。そして彼らのディス曲は事の背景と密接に関係している。
 すなわち、曲の勝敗と事の背景を切り離して結論を出すことには違和感が伴う。

 完璧な背景を語ってしまうと両者以外にも必要な登場人物が他にもおり、また参照する期間も長くなってしまう。そうなると本稿の趣旨からずれ、複雑化して分かり辛くなってしまう。よって、ここでは最低限の事象に留める。詳細の解説はYouTube等で調べれば出てくるのでそちらにお任せする。

 簡単な背景は以下のようになっている。

 舐達麻のリーダー的存在のBADSAIKUSHがある曲でディスに関わる。
      ↓
 YZZERがそのことを根に持っており、
 あるタイミングでBADSAIKUSHの胸ぐらを掴みに行く事件に発展する。
      ↓
 舐達麻がディス曲を出す。
      ↓
 YZERRがディス曲を出す。


 という流れだ。

なぜ、舐達麻の勝ちだと言えるのか

 フラットに見た曲の比較ではなく、全体を論理的に見て、かつ曲(リリック)を考慮した結果、舐達麻に軍配があがると結論付ける。

 理由は以下の通り。

 ⅰ. ラッパーがディスを謳うのは普通である。
 ⅱ. ラッパーはラップで戦うべきである。
  手を出すのは論外である。また、ラップ以外でディスするのは弱い。
 ⅲ. 嘘を伴わない人間はいない。

 下記に各項目について解説する。

ⅰ. ラッパーがディスを謳うのは普通である。

 ラッパーがディスを謳うのは、もはや普通だ。当然、それに対してキレるのも自由だ。

 このビーフは互いに曲を出して“一旦”決着した。
 それは YZERRもディス曲をアンサーしたからこその着地である。YZERR本人が今回のguidanceにて「お前のDisはブーメラン」と謳っていたが、これ自体もブーメランなのだ。

 更に人間的な本質の話をすると、完璧な人間は存在しない以上、正当な立場から他人をディスできる人間もまた存在しない。よって、ほぼ全てのディスはブーメランとなるのは必然だ。
 子育てにおいて最も重要な事が「自分の事を棚に上げること」なのは、そうでなければ上述の理論によって実行不可能に陥るからだ。

 ラッパーは特に社会的な地位や身分が高くない事も多い。そんなカルマを背負ったラッパーのディスはラップであり曲であるから美しく楽しいのだ。YZERR自身も曲の中でHIPHOPのルーツに触れていたから、本来は分かっているはずだ。
 少なくとも、ブーメランに言及することはメタの皮を被った、身も蓋もない無理解の象徴である。

ⅱ. ラッパーはラップで戦うべきである。

 ラッパーはラップで戦うべきである。ゆえに、手を出すのは論外であり、ラップ以外でディスするのは負けだ。

 ⅰの中で、人間の本質的な話をした。これに関連して話す。

 なぜラッパーはラップで戦うべきなのか。
 言うまでも無い。ラップ以外でディスれば、頭が良い人や口が上手い人が勝つ。そこは純粋に頭が良い人が勝利する世界であり、その世界においては殆どのラッパーは絶滅するだろう。

 なぜラッパーは手を出してはいけないのか。
 当たり前だ。単純な喧嘩になれば、勝利するのは人間ではなく技術だ。それは喧嘩の技術ではない。人を殺す武器の話だ。その世界ではラップや口が上手い人ではなく、先に武器を持ち躊躇無く相手を殺せる人間が勝つのだ。これはラッパーのビーフに限らず、格闘技の世界チャンピオンであっても人類が発明してきた武器には勝てない。しかし、その勝ちとは殺傷の話であり、人間としての勝ちで無い事は分かるだろう。

 これは舐達麻が勝ちだと言える理由というよりは、YZERRが負けであると言える理由だ。
 アンサーしたことは良き事だが、それは舐達麻があのレベルの曲を出した手前、また妙に盛り上がってしまった為に出さざるを得なかった部分もあるだろう。勿論、実力もあってアンサー曲はかなり良かった。

 しかし、手を出したことは表現者としては恥ずべき事であるし、アンサー曲初公開の前にやたらと口頭でディスを喋っていた。これではビーフというよりもただの口喧嘩に過ぎない。上でも例え話を出したが、口頭の喧嘩であればラッパーでは到底勝てない多くの知識を有した人種がいるのだ。彼らに口喧嘩で負けたとして、ラッパー達は負けたと思うだろうか。それはあり得ないだろう。そもそもの戦っているフィールドが違うのだ。自分より頭が良い人は沢山いるが、そんなことはどうでも良くて、ラッパーは「RhymeやBeatsの上」で勝てば良いのだ。

 YZERRは口頭でかなり長い時間発言してしまった。これはラッパーとしての勝負の仕方ではない。
 また、この時の口頭及びアンサー曲で「嘘」についてかなり言及していた。これがⅲに繋がる。

ⅲ. 嘘を伴わない人間はいない。

 世間一般的なレールの上を歩む人生の人は、卒業後に就職活動をすることが多い。就職活動の中では適正検査という性格の検査がある。その中では、例えば「これまで嘘をついた事は一度もない」という設問があり、とても当てはまる〜全く当てはまらない、まで選択を求められたりする。ここで、企業側に良い印象を与えようとして、とても当てはまるを選択してしまうと、直ちに落選が決定する。これは適性検査の地雷である。

 この例からも分かるように、人間は嘘をつかないことはない、むしろ嘘をつくのは普通である、というのは常識なのだ。

 YZERRは世間一般的なレールの上を歩む人生とは無縁なので、適性検査の地雷については知らないのかもしれないが、人間から「嘘」を切り離せないことくらいは分かるだろう。もし本当に分からないとしたら、それは自分自身に「嘘」をついているに他ならない。

 アンサー曲初公開の前に「嘘」について沢山言及したり、曲の中でも「嘘にまみれて」「嘘はクソ」とかなり強調している。
 ここまで「嘘」にこだわる理由は1つしかない。舐達麻のディス曲のダメージがかなり効いているのだ。

 嘘をつかない人間はいないと述べた。
 ラッパーは表現者なので、嘘というよりはセールスマンのごとく自分に有利な表現に変えたりすることもあるだろう。

 一例を挙げると、YZERRは曲の中で「胸ぐら掴み挨拶」と謳い、ⅱで述べたような手を出す行為をかっこよく言い換えている。この部分に関しては素直に上手いと思った。表現者であるラッパーはやはりこうあるべきなのだ。

 だからこそ、「嘘」についての言及はするべきではなかった。
 おそらく、いや間違いなく、YZERRのアンサー曲の中にもいくつも嘘(あるいはそれに近しい概念)が含んでいるはずだ。それが当たり前なのだ。

 結果的に「お前のDisはブーメラン」というリリックは自らの事を謳ってしまうことにもなった。

 こうしたロジックや一貫性の観点から、YZERRが「嘘」と「ブーメラン」を言及した時点で舐達麻の勝利が確定したと言えるだろう。

 ※
 なお、舐達麻の方のディス曲でもDELTA9KIDが「口を閉じろ嘘吐き」と謳っている。これはYZERRのいう「嘘」とは使われ方が違う。
 YZERRは舐達麻からのディスをまとめて「嘘」と吐き捨てる怠惰的要素が含まれる。これは、アンサー曲初公開時の口頭による弁明を聞けばよく分かる。一方DELTA9KIDの表現する「嘘吐き」は特定の事象に対するディスであり、最初に投げたボールの中のディスの一つにすぎない(G-PLANTSの謳う「虚言癖」も同様の説明ができる)。

 また、上述したようにディスは基本的にブーメランが前提であり、DELTA9KIDが「嘘吐き」と表現したことで、自分は嘘をついたことないのか、とは文脈上ならない。
 対して「お前のDisはブーメラン」と謳ってしまったYZERRの表現に、自分もブーメランだけどね、という意味も含まれているとは考え難い。なぜなら、その意を含んでの発言であれば今回のビーフだけでなく全てのディスをチープ化させるからだ。当該リリックを書いている時のYZERR自身の行為と矛盾してしまう。

 つまり、ⅰで「ブーメランに言及することはメタの皮を被った、身も蓋もない無理解の象徴である。」と言ったのはそういう理由だ。

世間はYZERR側に傾いている印象

 コメディアンの漫才バトルで後攻が有利だと感じたことはないだろうか。
(ラップバトルのような即興はスキルの差がはっきり出るし、交代や短さもあって後攻が有利だとはそこまで言えない。)

 人間の脳は、実はそんなに高性能でも論理的に作用しているわけでもないのだ。
 容量に限りがあるし、後から取得した情報から上書きされる部分も多い。また、古いものに飽きて新しいものを好む傾向もある。

 大衆は、感情や瞬間の嗜好に支配されることが多い。よって、本稿で述べたような合理的観点とはかけ離れた部分で評価されている可能性が高い。その為、本稿では①曲の質、②当事者で起こったこと、を考慮し本質的、論理的に勝敗を見てきた。

 しかし、やはり冒頭で述べたように、互いに引き分けという形が真の結論だと思う。
 なぜなら、何者かの優劣をどんな第三者が正当に判定できるのだろうか、ということだ。
 勿論、できる場合も往々にしてある。だが、圧倒的な舐達麻の優勢から、世論をここまで返してきたYZERRはやはり実力者であった。均衡していると言って差し支えないだろう。それぞれの良さがあり、それぞれを好む人がいるのだ。
 

おまけ:「誰も死なない日本のHIPHOPのビーフはリアルじゃない」という人間は間違いなくお馬鹿さん。

 今回の「舐達麻vsYZERR」のビーフは盛り上がったし、良かったと思っている。

 冒頭で私がなぜ世論を軽視していたかというと、「誰も死なない日本のビーフはリアルじゃない」というお馬鹿さんが一定数いたりして、悪い意味で世論を盛り上げてしまっているからだ。

 本稿でも述べたが、ラッパーはラップで戦うべきだ。
 人を殺すという行為自体は単純なものだ。しかし、それは喧嘩の勝敗とは無関係に、原始的な勝敗の決め方であって、芸術的な勝敗の決め方ではない。なぜ人の命を奪うことが正当化されるのか。

 一定数のお馬鹿さん達は映画を見ているような感覚なのだろう。誰が死のうが生きようが関係ないのだ。彼らは感情が劣化しており、日々の出勤が面倒だから災害起きないかな、くらいの感覚でお馬鹿発言をネット上で書き続ける。
 どれだけこのようなコメントが書かれたとしても、賢明な人間は全員気付いている。

 東京ドームに日本のHIPHOPが単独で立つことは素晴らしいことだ。
 YZERRはBAD HOPとしてその責任を担っている。だからこそ、今回のアンサー曲は素晴らしく追い風となった。
 しかし、舐達麻がディス曲を出した後のインスタでの反応や、そもそも手を出す行為に関しては、やはり素晴らしいとは言えない。
 一方、これこそがHIPHOPの他のジャンルとは違うスリルや荒々しい面白さであるという考えに基づくと、こうした背景も蔑ろにできない部分も認めざるを得ない。

 上述したようなお馬鹿さんが出現しないように一定のコントロールをすることはできるはずだ。それは、我々のようなまともな(少なくともお馬鹿さんではない)リスナーも協力すべきである。

 舐達麻派だろうがBAD HOP派だろうが、基本はHIPHOP自体が好きという共通点はあるはずだ。
 ビーフにしても、こっちが勝つ時があればあっちが勝つこともあって、それで業界が盛り上がれば良いではないか。時にはヒヤヒヤすることがあっても良いと思う。過激な発言もプレテンディングだと思って楽しんでも良い。

 しかし、「人が死んでこそリアルだ」という発言を認めるわけにはいかない。知能ある人間なのであれば。芸術を嗜むことができる文化的な人間なのであれば。


No.5
2024/2/18-19編集 2024/2/19 投稿

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