傘入れのビニールはこちらに捨ててください

 スチュワートが死んだのはスコールが特にひどい日だったらしい。わたしの四歳の誕生日にうちにやってきて、そもそも映画のスチュワート・リトルを見てハムスターが欲しいとねだったものだったから名前はスチュワートになった。家から車で十五分ほど行ったところにあるペットショップで買ってもらって、日曜日の朝に近くの公園でやっているメルカードで金色の三階建てのケージと回し車をそろえてもらった。わたしたち家族が一か月ほどスペインで過ごしている間、パパの通訳さんのおうちに預けた。帰ってきたら、死んでしまっていた。

 ブラジルではスコールのとき、傘をさす人は誰もいない。傘を差したところで、雨は地面に跳ね返って全身を濡らすから最初からあきらめている。そもそもろくに働くこともしないで好き好んで一日を海の中で過ごす民族だから、雨だろうと何だろうと体が濡れることは呼吸のようなものなのだった。

 カルディで買った缶のグァバジュースを飲んでいると昔ベロに住んでいたときのことを思い出す。ベロオリゾンテ(もっとも、我々家族をはじめ日系人や日本人はベロと言っていた)はミナス・ジェライスの州庁があるところで、州庁から車で五分ほどのマンションにわたしたちは五年ほどいた。

 グァバ(向こうの言葉ではゴイアバ)はブラジル人にとってはなくてはならないもので、わたしが日本に帰ってきて一番苦しんだのは友だちとの別れやばあやと音信不通になったこと以上に、ゴイアバが食べられないことだった。最近はゴイアバとかパッションフルーツ、スターフルーツとか向こうで食べていたものが一部のお店では手に入るようになってきて、でも今となっては地球の裏側の記憶なんてあまりなくて、ただ驚くほど覚えているのが、スイミングスクールの向かいにあるジューススタンドのココナッツウォーターの味だった。

 けっきょくわたしの味覚とか聴覚とか嗅覚とか、そういうふと無意識になった時にも意味ありげに存在し続けているものは、ベロの家のバルコニーとかスイミングスクールの中庭とか、インターナショナルスクールの保健室とかそのすぐ隣にあったスラムの前の道路とかで拾ってきたのだった。ふと無意識になった時に無理やりにでもこちらへ戻ってくる精神の体力とか、きたないものさえ愛でる泥臭さとかを拾い上げたのが東京だった。

 疲れたときはねぎを刻む。敬愛する作家、江國香織が言っていたから。中学生の頃から彼女の小説に出てくるような、氷砂糖を何重にもセロハンでくるんでできたような大人になりたかった。結局、今二十一で、真っ赤なハイヒールや身体のラインがはっきりと出る黒いワンピースが似合う大人になってしまった。就職がうまくいったらルブタンを買おうと思っている。

 窓の外の、春の雨の音を聞きながらひたすらにねぎを刻む。だんだん目が痛くなってくる。そうすると、氷砂糖の中に入れるには濁りすぎていた不純物のことが思い出される。ブラジル帰りだったからいじめられたこととか、片想いしていた人の結婚式のこととか、卒業式の日に先生に告白されたこととか、朝起きたら隣に知らない男の人がいたこととか。そういうのばかりで、正直それがノイズだとか不純物だとかはここまでこないとわからなかった。

 一昨年だかその前だか、ちらちら雪が降った日がわたしにとっての初めての雪だった。ブラジルでは雪は降らない。サンタクロースはサーフボードに乗ってやってくる。そのときわたしは奥さんのいる男の人と付き合っていて、それを不倫と呼ぶことはそれから二年以上たった最近になって知った。そのひとの家に行って会って、行為の最中に奥さんが帰ってきた。奥さんは泣きわめいて、わたしにティッシュの箱とバスタオル、それから二リットルペットボトルの水を投げつけた。人でなし。あんたは鬼の子だと言われて、そのへんに置いてあったタオルとか靴下とかシャツとかを投げてきて、たまらなくなって裸のままベランダに出た。雪が積もったベランダの柵。脇の鉢植えには豊かにしめった土が詰まっていて、ベランダから見える中庭には真っ赤な山茶花が咲いていた。小さい頃から外で遊ばなかったし、ママに似て日焼けすると肌が真っ赤になる体質だから、わたしの裸は真っ白だった。きれいだ、と思った。生まれて初めて、自分は美しいと理解した。

 その日の真夜中、新宿の緊急病院に行った。わたしをそのまま男にしたような感じの、「大親友」といっしょに。アフターピルが欲しくて、でも夜間診療を受け付けてくれてる歌舞伎町の病院にひとりで行く度胸はなくて、三五〇ミリリットルのビールと引き換えに、わざわざ舞浜から着いてきてもらった。お医者さんはおばさんだった。避妊の主導権は女性が持つように、とかまだ若いんだから、とかの説明を、大親友は、で?という顔で聞いていた。

 「なんでそんな誰とでも寝るの」と聞かれた。自分だって誰とでも寝てるくせに。雪はもう溶けかかって、足元で灰色にぐじゃぐじゃになっていた。
「寂しいから」
「それ男じゃなきゃだめなの」
「だって男の人みんな遊んでくれるんだから、仕方ないじゃん」
わたし鬼の子だし。小さくそう付け足す。あのマンションの部屋に行くことは多分二度とないけど、ティッシュ箱の角は意外と痛かったし、鬼ってかくれんぼみたいで、無邪気に笑って隠れている子たちを、楽しそうなふりをして、ひどく感情のない目を血走らせているわたしみたいだった。

 雨はやまない。この調子だとあしたの朝も天気は悪そうだ。刻んだねぎを白いフタつきの、正方形の容器にざざっと入れる。入れてから今使いたかったことを思い出して、親指と人差し指、中指でつまめるだけつまむ。
この辺は住宅街だから、夜になるとかなり暗くなる。冬は街中イルミネーションだから明るいけど、いまは何の変哲もない退屈な季節だから、音でしか雨が降っていることを判断できない。海浜幕張の街はバブルの時期に海を埋め立ててできて、だからたまに一緒に連れてこられたかわいそうなもぐらがいる。ヨーロッパの街を真似して、明らかに違う仕上がりになった街並み。石畳だからヒールが刺さるし、コンビニも二二時には閉まる。治安の良さと民度の高さだけが取り柄の場所だ。

 春の雨の日には南のことを思い出す。南とは高校生の時付き合っていて、彼女はわたしのひとつ上の学年だった。母親との折り合いが悪くて、当時から家に帰りたくないとわたしの家に転がり込んできたり、ふたりで電車に一時間くらい乗って原宿に行ったりした。ママには彼女とのことは言わずに、ただの友だちで通した。別れた今も高田馬場にある彼女の家に泊まるときは友だちの家に泊まるとだけ言っている。

 南と渋谷に行くときはいつも雨だった。雨降りの渋谷は傘をさすことができない。特にマルキューの周りやZARAの前の通り。わたしたちはいつも青山方面にむかって、スタバのフラペチーノを片手に持って走った。そもそもの始まりだって、センター街のコスメショップを物色していたら土砂降りになってしまって、走っていたら目についたラブホテルに逃げ込んだことだった。センター街を走る途中で、道に落ちて灰色になっていたハンバーガーの包み紙を踏んで転んだから南の膝は真っ黒になっていた。シャワーでそれを洗い流して、わたしたちはまるでそうすることが当然のことのようにセックスをした。気持ちいいとか好きとかじゃなくて、千葉の田舎でそれぞれの地獄をくすぶらせているわたしたちはそうしなければ都会の魔物に食われてしまうと思った。

 雨上がりの渋谷はおそろしく蒸した匂いがする。東急本店の自動ドアが開くときに漏れてくる冷房だけが正気を保っていた。霧のような狂気は眩しかった。ホテルの部屋はひどく乾燥していて、わたしたちはおかしな湿気に包まれて人間へと戻っていった。もうなにをすればいいか、なにをしたいかわからなくなってしまって、お腹が空いているということだけが明白だったから、タコベルに入った。できたばかりのタコベルはだいぶ混んでいて、夕方だったからなんとか落ち着く場所を確保することができた。わたしたちはなるべく、食卓で好き好んでするような、たのしい話題を探した。南は大学の推薦に受かって、第一志望だったという高田馬場の大学への進学を決めていた。わたしはただ、部活という言い訳を使って大人たちから逃げようとしていた。南は推薦とか内部進学の人たちだけでの集まりに行ったらしい。関西弁を話すかっこいい男の子がいて、グループラインはずっとその男の子とその取り巻きが動かしていると言っていた。
「しょうじき、あそこにいるやつら全員気に入らなかった」
だろうな、と思った。わたしも南も、両親から有り余る愛情を受けてほしいものを全て与えられて、すくすくと育てられたような多くの同世代の人間が大嫌いだった。たいした地獄も知らないくせに、と彼女はよく吐き捨てていた。両親から褒められて肯定されて子ども時代を過ごすってどんな感じだろうと、大理石のマンションの外側から見てわかるような「愛情」を吐きそうなほど押し付けられていたわたしは、単純に知りたかった。そして妬ましかった。わかんないけどたぶんお金持ちのパパときれいなママは、わたしをこんな感情を抱くように育てたのだろうか。

 春の雨は呪いだ。新しい毎日を祝福する桜の花も、あたたかな温度を運んでくる春の雨も、ぜんぶ呪いだ。ぜんぶなくなってしまえばいい、全部、全部。春なんて大嫌いだ。白いつやのある入れ物は、山盛りのねぎが入れられていた。

 さすがに目が痛くなってしまって、そもそもねぎを刻んでいたのは食事をつくるためだったと思い出した。ひとまずの空腹を紛らわすために、わたしはセロリをかじる。セロリは大学受験中とかダイエット中のおやつだった。
帰ってきてすぐ、パンの生地を寝かすときみたいな精神的養分を取り戻すために、キッチンに走ってきた。足元には紙袋が散らかっている。イプサと、アルビオンと、資生堂の紙袋。全て自分に投資するための品物だ。自己投資は愛。詰め込まれすぎて吐き出してしまったものものをもう一度自分のものにするために、わたしはひたすら自分の美しさを磨く。虚無といわれればそれまでだ。どんなにお金をかけて、どんなにきれいになったって、つけられた傷が埋まることはないし結局わたしの奥の奥は醜いのだった。春の雨は偽善者だから嫌いだ。傷を埋めたい、というような優しい顔をしながらそれをえぐって、こちらが傷つくとそんなつもりじゃなかったのに、と被害者ぶってさらに雨を強くする。

 雨の中の就職活動はかなり気が滅入る。正直に言って、わたしにとって就活自体はあまり苦痛ではなかった。なぜならそれなりに上手くいくことがわかっているから。三年生の時から今に至るまで、先輩やリクルーターや社会人に、あなたは大丈夫、賢いし受け答えが上手だし、顔がきれいだから、といわれ続けて、まあそうなのだろう、と思いながらそれを聞いてきた。つまり外面がいいから、わたしは大丈夫だ。でも雨は嫌いだった。死ね。何かをやるうえで死ぬ気になったことはないけれど殺す気になったことは何度もある。死ね。

 「で、君はうちにはいったらどうやって金稼いでくれんの?」
就活の上で大事なのは自己分析だ、と大人たちは口を揃えて言う。それはそうだ。でも雇う側にとって大事なのは、わたしたちがどんな人間かじゃなくて、わたしたちはいくら稼げるのかっていうことだけだ。だから簡単だ。その会社が望んでいる人物像に合わせて、自分を切り取る。生まれてからずっと「見られる」側で生きてきたわたしにとっては容易いことだった。相手の男が望んでいる女性像に合わせて、服装やメイク、言動まで変える、「恋愛」と同じだ。あとは、それを素晴らしい印象を与えられるように言う。わたしは顔の右半分の方が表情筋が発達していて笑顔がきれいだから、ほんの少し顔を傾けて右半分が目立つように話す。

 会社のビルから出るともう雨はやんでいて、その中途半端な偽善がよりわたしをいらだたせた。あなたのためにこんなにがんばったよ、だから感謝してね、わたしたち友だちだよね、と見え透いた笑顔を浮かべている人間そっくりだ。そういう相手に対しては、ありがとうと返してお茶を飲む予定を立てて、心の底では、友だちじゃねえよと吐き捨てて、別れてからツイッターの裏アカで悪口を並べ立てている。桜の花だって嫌いだ、早く全部散ってしまえばいい。どこが美しいのかさっぱりわからない。

 でも夜の銀座は大好きだ。新宿は生きているだけでナンパされるから嫌い(ナンパというのは自尊心を傷つけてくるものでしかない、死んでくれ)だし、新大久保も高田馬場も池袋も臭いから嫌いだし、渋谷と原宿は色々なものを置いてきすぎたから、回収が面倒で嫌いだ。銀座は声をかけてくる人がいないし、雨が降っても逃げ込める場所がたくさんあるし、乱雑に放置された道にヒールが刺さって転ぶことがないし、夜の街灯は口紅の色が一番きれいに見えるように作られている。面接が終わったからといって特に解放感もなにもないけれど、嬉しくなって深く息をしながら歩く。銀座の空気は雨が降ったってそのにおいを閉じ込めることがなく、きちんと澄み切った夜の匂いとムスクの匂いがする。

 先日、ネット上で男の人に声をかけられた。年上の男の人で、興味があることが同じだったのと就職活動の話を聞いてくれるというから一度コーヒーをごちそうになった。なぜかプレゼントをくれた。別れたその後すぐ、またすぐ会いたいと連絡がきた。返事はしていない。
 おかしいな。
 三越の前の横断歩道に、ほんの少しだけ水が溜まっていてストッキングにはねた。
 水は女性を象徴しているというのは本当だとして、わたしはこうなるために南の国に行って、海に囲まれて育ってきたんだっけ。

 東京から京葉線に乗った。京葉線はあまり整然としていなくて、混んではいないのになんとなくごみごみしていて、中学受験の塾に行くときに初めて乗って以来好きじゃなかった。最近電車に乗るとおなかが痛くなる。昔からストレスが身体に直接影響しやすくて、少しでも嫌なことがあるとすぐ胃が痛くなったり顔中にニキビができたりする。就職活動自体は苦痛ではないけど、それ以前に今は生きているだけで身体中が痛い。朝起きるとああ今日も寝ている間に死ねなかった、と思いながら洗面所に行って、ぬるま湯で顔を洗いながら心をなめらかにしていく。ぬるま湯はいい。たぶん世界で一番優しい心を持ったものだと思う。概念としてのあたたかい水が大好きだ。

 ねぎをたっぷり入れた和風スープを飲み干した。明日も早いからこのまま起きておこうか。雨の音を聞いているととりとめのないものを思い出してしまうから眠るのが遅くなる。最近は一日中部屋から出られないということが少なくなってきているけど、まだ薬を飲まない限りは眠れない。ノートパソコンを抱えて、薬と白湯のいっぱいに入ったマグを持って部屋に戻る。

 ベッドの上には恋人からもらったテディベアが寝ている。もうそれを抱きしめないと眠れない身体になった。好きな人に抱きしめられて眠っているとき、一生生きていたいと思う反面でもうこのまま死んでしまいたいと思うのはどうしてだろう。

 窓の外にはまだ雨が降っていて、ベランダの手すりに当たる音がした。きっと手すりの金属は冷たく、濡らされて光っている。山茶花のことが遠く感じられた。

 夢を見た。空からカラフルな布がどさどさと降ってきて、わたしはその中を駆け抜けている。地面は硬くて、脚があまり良くないから膝が痛い。石畳の割れ目からは細い葉がところどころ飛び出ていた。
ごつごつして乾ききった石畳の両側には群青色の家が並んでいた。大きさは色々あるのに、全部が相似形みたいに同じ形をしている。中も同じ間取りで、同じ場所にベッドやらソファやらが置かれている。みんなベランダに出て、ベランダの中に飛び込んできてしまった布を家の外に放り出しながら洗濯物を取り込んでいる。
 赤い布を踏んで、転んだ。膝に血がにじむ。目の前を灰色の野良犬が横切った。犬は優しく吠えたてている。ごく楽しそうに子どもを追いかけて、そのすねにかじりついた。
 倒れたままのわたしに知らない女の人が手を差し伸べた。白いきれいな肌の人で、差し出した手だけが黒く、腐ったようだった。栄養の豊富な土の香りがした。大丈夫、と聞かれた。ありがとう、あなたは誰ですか、と尋ねる。母です。そうですか、と返した。
 気付けば道は布で覆われていて、気が付くと布は全て濡れてその色を濃くしていた。その上を子どもたちが駆け抜けるたびに、水が押し出されるぐちゅっという音がした。遠くから聴いたことのある音楽が聴こえてきた。犬が笑って、鋭い歯をむき出しにして楽しそうに歩いてくる。この曲なんて名前だっけ、と尋ねる。
 美しく青きドナウ。
 ああ、そうだった。音楽をやっている人間なら誰もがわかるはずなのにどうして忘れていたんだろう。
 びしょびしょに濡れた紫の布が背中に被った。臭い。こぼした牛乳をふいた後のふきんの匂いがする。そういえば、洗濯物を干し忘れてた。全部臭くなっていそうだから洗い直さないと。いつ?
 もうだめだ。立ち上がれないし走れない。わたしの左手の中指は犬に食べられていた。気持ちいい。かゆいところをかいてもらっているみたいだ。ふと視線を右にやってみると、雨の日にデパートの出入り口に置かれる、大きなゴミ箱が置いてあった。口をしっかり上に向けて、時折布を受け止めていた。
 あそこには何なら捨てていいんだろう。わたしは目を閉じた。

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