HPは人それぞれ
2/10。こんばんは、INNOSENT in FORMAL CANDY MANです。
初ワンマンまで、あと10日。今日はライブハウスをお借りしてゲネリハ。
ゲネリハとは通しリハのことで、ライブで演奏する曲やMCを本番さながら通して演奏する。皆と良い時間を共有できるよう、頑張っております。
さて、Twitterで情報の海を漂っているとこんなツイートを発見。
漫画「鬼滅の刃」の主人公、竈門炭治郎を真似したアカウントで、漫画内の「長男だから我慢できたけど〜」というセリフが元ネタになっているのであろう。ちなみに竈門さんとCANDY MANは身長が同じです。
初めて見た時、「面白い」と思った。面白いネタだと思った。
しかし、この「○○がどうした、炭治郎はもっと辛い想いをしたんだぞ」というフレーズ、冷静にみると恐ろしい。
例えば、「昨日仕事で失敗しちゃって、辛いなぁ」というツイートに対し、
「仕事で失敗したことがどうした、炭治郎はもっと辛い想いをしたんだぞ」というツイート。これを見て、「そうだよね、炭治郎は家族を鬼に奪われて、鬼たちを倒すために日々戦ってたんだもんね、よし、私も頑張ろう」となるなら、良い。
でも、その想い、本当に封じ込めて良いのだろうか。
確かに竈門さんは家族を奪われ、生き残った妹も鬼にされ、というとても絶望的な状況で奮闘していたが、あなたの辛い想いはそれ以下なのか。
一所懸命頑張って、それでも上手くいかず、涙を堪え血がにじむくらい歯を食いしばって戦って。それって鬼退治の方が辛いのか。その人にとっては、鬼退治よりも辛い想いなのではなかろうか。
辛さとは一律に決められるものなのだろうか。
例えば、試験に落ちたら10辛、フラれたら20辛、一昨年の企画ライブで予備として持ってきたギターを使うことなく、帰るときにギターケースを開けっぱなしにしていることに気がつかず持ち上げてネックを折ってしまい、修理費に5万かかったら50000辛とか。炭治郎より辛かったです。
同じ辛い出来事でも、受け止める人によってダメージの多寡は異なる。
ゲームだって、呪文に耐性のあるキャラクターの方が同じ攻撃でも受けるダメージが異なる。辛さは簡単に測ることが出来ないから、厄介である。
だからこそ、「辛いのは皆一緒」という悪魔の言葉に非常に嫌悪感を覚える。
「俺も辛い想いした、だからあなたの気持ちも分かるよ、話を聞こうか」なら良い。でも「俺も辛い想いした、だからお前も耐えろ」という考えは危険。
以前noteにて「哲学的ゾンビ」について触れた。
自分が意識して感情を出していることは分かるが他人は分からない。それと同じように、自分が辛い想いをしていることは他人は100%分からない。同じように感じ取ることは難しい。意識を乗っ取ることができれば話は別だが。
そもそも、ニンゲン誰しも元を辿れば孤独。100%理解し合うことなど無理である。
でも、そう思うとなんだかさみしい。100%理解出来なくても、理解しようとすることはできる。言葉が使えるし。
感じ方は人それぞれ。ダメージの受け方も、HPもそう。ゲームと違って簡単に増やせるものではないし。
と、ここまで話をして突然ひっくり返すようだが、1から100まで何でもかんでも「辛い」で済ませていると先には進めない。
例えば、大魔王を倒して平和を取り戻すという目標があるのに、最初の町を出た直後、雑魚キャラにちょっと攻撃を受けて「だめだ、終わった」と町に戻ってしまうと、いつまで経っても平和は訪れない。
ならば、どうするか。
回復手段を沢山持つことだ。
最初はやくそうを多めに持って戦いに挑み、レベルが上がって回復できる呪文を覚えたり、仲間を増やしたり....etc を繰り返して大魔王へ立ち向かっていくのだ。
でもこれは本当に何か回復する薬を持つ、ということではなくもっと簡単なこと。
例えば「好きなテレビ番組を観る」「気が置けない友人と話す」「お気に入りのスポットに行く」などでいい。とにかく、沢山あるといい。回復出来る手段が1つしかないと、それにたどり着くまでに全滅してしまう。
普段行かない場所、食べない物、聴かない音楽などに手を出してみるのもいい。気がつかなかった隠し回復アイテムが実はそこら辺に転がっている。
我々の音楽がその回復アイテムの一つとしてあれば、この上ない嬉しさです。
炭治郎も俺もお前も、頑張ってるよ。感じた「辛い」という想い、どうか捨てないで、変に納得しないで欲しい。
あなたが認めてもらいたがっている人は、あなた自身なはず。
どうか自分だけは、自分を認めてあげて欲しい。
初ワンマンまで残り10日、この日の想いでした。
https://t.pia.jp/pia/artist/artists.do?artistsCd=GA110071
この日しか聞けないアレンジ、曲もやる予定です。
今日の1曲
millennium parade - FAMILIA
King Gnuのメンバーが全員揃っているのに、King Gnuではない。こんなに悲しい歌はあるのかい。映画の主題歌だから、その内容に合わせた歌詞ではあるが、常田大希氏の書く歌詞は自己犠牲が強い気がする。
彼の「これ以上の曲は作れない」という意味も、何となく分かる気がする。
Debut Album "THE MILLENNIUM PARADE"、好きです。
最近見つけた回復アイテム。
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