できることが増えると、それをしなきゃいけなくなる
どうも主に姫路のhideです。
主にこんな活動をしています
毎日noteを書いて、サロン記事を書いて 誰よりも何よりも自分の為に頑張ってる 漫画と音楽とゲーム好きです。 よろしくお願いします🤲
大阪へスシロー目指して移動中です。
馬鹿にしないでください!
兵庫県姫路市にもスシローはあります!!
今日は大阪難波のスシローに用があるんです!!
この電車の1時間でサクッとまとまりのない事を書いてみようと思います。
できることが増えるのは果たして良いことなのだろうか
できないことができるようになるって凄く良い感じじゃないですか。
でも、できるようになったってことが=できないといけないことになっていくと、とてもしんどそうだなぁと"日本できれば何にもしたくない委員会"の僕はふと思いました。
今まではできなくても「できないから仕方ないよね、、」で済んでいたことが、できるようになってしまったばかりに、「なんでできないの?できるんだからやれよ!」みたいな事になってしまうというか、、
これってめちゃくちゃダルいなと。
できないことができるようになる
ここまでは最高なんです。
だけどそのできるようになった事での周囲の変化はあまりええ事尽くしでもない。
なのでやっぱり"できるという事"を必要以上に特別視せず、淡々とできる、できないで捉えていくのが良いのかなとかなんとか、、
僕のよくするエピソードトークに、面白くてハマってやりこんでたゲームがあってそれが全国レベルだとわかったとたんに"できること"を求められすぎてつまんなくなったっていう体験があります。
アスリート選手とかもそうなのかな、、最初はできないことが多くて、どんどんハードルを飛び越えることができて楽しいし面白い。
だけど越えられるハードルがなくなってきて、そのころには期待ばかりされるようになって、できなかったら落胆されて、、
やればやるほどある一定のピークから面白さ、、明らかに楽しさのようなものは消えていく現象をよく聞きます。
イチロー選手は最高の野球選手だと思いますが、僕はイチローには憧れないんすよね。
野球をやるわけではないけど、近所のちょっと野球できるお兄ちゃんぐらいが一番幸せそうというか。
プロにもなりたくないです(笑)
できないことが多い方が人生は楽しいし楽ちん?
僕、視力が(もw)悪いんです。
テレビゲームをしたりする時に必要だったりするし遠出する時に駅の案内とか見るのにメガネを持ってたり、あとは、、一応お店をオープンしたころはちゃんとお客様のお顔などを把握しないとな、、とか思ってメガネをかけてたのですが、、
ゲームはスマホやSwitchになったり、
駅の案内も近づけばなんとかわかるし、
店もあまり開けてないしで、、
メガネもかけなくなったんです。
コンタクトもしてません。
街中で誰かに声をかけられても、凝視するのもなぁ、、というわけでだいたいいつも適当に返事してます。
言い訳としては「僕、目が見えてないんで、、」という盲目の戦士のような言い訳をします(笑)
見えない(できない)んだから仕方ないやん!みたいな論理です。頭がおかしい人なのでしょうか、、。
でもこれもね、じゃあ視力矯正しなよ!ってまともな会社や偉い人とかには言われたりします。
視力が矯正できりばっかりに、、です。
視力が矯正できること自体は素晴らしい事なのですが、それができるんだからやれよ!!
とやらないといけないことになってる。
なんなのこれ?
車の免許も怖いし危ないし面倒だから持ってないのですが、運転できなければ運転しなければいけない事はありません。
「よし!ここは免許ないけど挑戦してみるか!!」とはなりません(笑)
あと、目は見えすぎると、表情とか細かいところとかが見えすぎて都合が悪いです。
この子可愛いけど鼻毛でてるなーとか絶対わかんないので気まずくありません。
もしかしたらバルゴのシャカのように普段からあまり目が見えてないことでセブンセンシズに目覚めやすかったりするかもしれないです!
というわけでできないことは困ってなければ無理に改善しないほうが楽な場合もある。
みたいなクソ思考でした。
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