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押井守監督曰く

トーキングヘッドと言うマイナーな映画をご存知ですか?
押井守と言う監督が撮影した実写映画です。
「トーキングヘッド 押井守」と某世界最大の動画アップロードサイトで検索かけると違法っぽいアップロードがされています。
この映画はアニメ制作現場の混乱を話の軸に「映画とは一体何なのか」を映画にしてしまった作品です。
押井守監督は言わば映像の思想家みたいなところがありまして、アニメ業界で今ではメジャーになった職種に原図(レイアウト)と言う部署があるんですが、その効能と言うか原図で何を表現するかみたいな部分の教科書とでも言える書籍なんかも書かれています。

どのアニメ制作会社に行っても一冊はあるんじゃね?と思うくらいの教科書っぷりですし、ある程度歳の行ったアニメ屋さんなら誰でも影響を受けている監督の一人かなと思います。
その「アニメ監督」の実写映画のうちの一作にトーキングヘッドはある訳で、これがまた意欲作と言うか主義信条の変態映画と言うか、まぁ怪作でもありますが凄い映画なんですよ。

映画を観る事と語る事の間には、作品として物理的に存在するから勘違いしがちなんだけど、見たものを言語化なんて出来ないんだからその二つは関係ない、的な話が出てきます。
考えてもみれば、アニメに限らず物語を誰かと絶対に共有することって出来ませんよね。例えば親ですら趣味が違う可能性だってあるじゃないですか。うちの親も小説を読むんですが、伊坂幸太郎さんと宮部みゆきさんの作品を劇推ししてきます。宮部さんの三島屋シリーズは辛うじて読めるんですが、伊坂さんの作品は全く読み進めなかったりします。逆に母にお勧めした本はほとんど門前払い状態でした。親子でも趣味は違うわけです。

映画を見るという事は、結局誰と観に行ったとしても同じ感想にはなりません。不思議なもんですが結局映画は一人で観に行ってるのと同じ事。つまりみんな勘違いしているけど、結構孤独な趣味なんじゃないかと思いました。
だからって誰かと映画を観に行くのを否定している訳ではありません。映画館には何人かで映画を観に行って、帰りがけに感想を言い合うのも面白い体験だと思います。

皆さんは映画を観る時に孤独を感じますか?

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