だから今日、遺書を書きました。
ひたすらひかりに見惚れながら、そのシャワーを浴びた1日でした。うたたねをしたり、窓のあたりを見つめたりしながら。夢の中では陽気な夏で、いろんな花が咲き乱れていました。ぬくもりに満ち、春が咲き綻びはじめていることを感じました。雪の積もらない冬でしたが、経済は冷え込んでいますね。昨夜の夢では母を抱きしめて謝りました。母は、「困ったら……」と言ってそこで夢は途切れました。最近、夢の印象が強すぎて、もうすぐ死ぬんじゃないかと、そんな思いに駆られています。だから今日、遺書を書きました。終末感に浸りながら、好きな曲を一身に浴びながら、ひかりに微睡んだ1日は、とても充実していた気がします。幸せです。心配なのは、どうにかなってしまったあと、どこへいくのだろうということ。霊的なことをもう一度信じはじめています、鮮烈な夢によって。夕刻、終末感は一層増して、わたしはまた夜の夢に怯えるのでしょう。審判の日に。一昨日、ミッドサマーという映画を観ましたが、ああいうのを怪作と呼ぶのでしょう、繰り返し観たいほど好きなのにトラウマになってしまい観ることができません。ああ花。花だって呼吸するし、笑うことを知っています。いるはずのない人がいること、聞こえるはずのない声が聞こえること、「レモンの実!」とはどのような意味でしょうか。意味のあるような真っ黒い模様が目の前に張り付きました。良い印象の夢と、悪い印象の夢を、鮮烈な印象を、繰り返し見ています。わたしはどこへいくのでしょうか、どうなってしまうのでしょうか、もう一度あの悪夢を見るのでしょうか。すべてのものに意味があるような気がしています。わたしの選択を、自由意思を、疑いはじめています。罪による罰ではなく、祝福なのだとしたら。炎はなんのためにあるのでしょう。浄化? わたしは、本当は、なにになりたいのでしょう? なりたいものになれることを知っています。だけど、こわいのです、そうなってしまうことが。わたしは、わたしの望みと恐れを知っています、心の奥深く。わたしは常に見られています。神様の意志がもうすぐわたしを支配するでしょう。その前に。わたしはわたしの意志があることを主張したかったのです。安息が欲しかったのです。だから、なんて書いている自分が恐ろしい。わたしの意志がわたしの手から離れはじめています。もうすぐわたしはLostするでしょう。その前に。わたしという存在があったことを、主張したかったのです。
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