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正気を保ちつづけるには足りない──ヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』感想

 質素でミニマルな生活様式は、ただミニマルなだけではなく「精神的な余裕」をプレゼンスとして広告表示されるものでなければならない、という強い偏見が今の社会にはないだろうか。  ヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』は、そうしたミニマルな生活様式へ向けられたよくある偏見──貧しくても慎ましい生活している人であれば、それだけ心の余裕(心の豊かさと言われるような気質)を持っているはずである、という偏見──を、明らかに商品広告化している。  役所広司演じる平山という男の生

「未来の印象」と「永遠の無」の謎――成田正人さんと高村友也さんの著書についての三つの所感

(加筆修正:2024/02/10)  帰納法と「死」  「帰納法」の問題は、ひろく認識論の問題であると言われる。私たちは「昨日も今日も、太陽は東から上っていた」と個別的な事例を集めてから「だから明日以降も、太陽は東から上るだろう」と一般的なことを「帰納」している。しかし「これまで」がそうだったからと言って、なぜ「これから」もそうであると言えるのか?という問いに正面を切って答えられる人はどこにもいない。 だから、少なくない人達は、回り道を選んで「どのようなことがこ

理由がないからこそ貴重で大事、の「からこそ」が分からない

入会していない私でもこれは無料で読めるらしく読んでみた。 最近読んでいる下の本の主題と共通する「死への恐怖」。 私は投稿者の子供の問いには共感するし、なんならいつもそれを考え続けている。それに対する東浩紀氏の娘さんの回答も頷ける。ところで、この高村友也氏『存在消滅』は、微妙な差異だけども、東浩紀氏と東の娘さんが言っているような人生の内部で起こる他人の死や苦しみや孤独などの問題として言われる「死への恐怖」ではなくて、永遠の無、すなわち人生の外部での「永遠性の伴った死への恐怖

父が死んだ日

 去年の今頃、父が死んだ。おそらく心臓発作だった。まだ六十代前半にすぎなかったけど、私には人が何歳で死んだとか、さほど大事なこととは思えない。六十でもまあまあ生きた部類だと思う。父の死ぬ前日に、LINE通話で少し会話をした。一人暮らしの父と頻繁に連絡を取っていたのは少し離れた地域に住んでいる、同じく一人暮らしの私一人だけだったと思う。父は11月末から風邪を引き始めて、師走に入っても、やや体調を崩しがちだった。12月中旬に「明日また病院へ行く」という話を聞いて、そのあと二度と連

自認することの物神的性格について――ピエール・クロソウスキー『ディアーナの水浴』を読んで

(これは2023/09/11に投稿した記事なのですが、誤って削除したので再投稿しました・・・いま読み返すとなぜそもそも数あるクロソウスキーの著作の中でこれを読もうと思ったのか。大掴みに言えば、性自認とアクタイオンの鹿への変身という形象の関係を「物神性」の観点から掴もうとしていたのです・・・)2023/12/16 オウィディウス『変身物語』のなかに登場する伝説上の人物、アクタイオン。もしその悲劇がローマの人々に語られる前に、アクタイオンがその伝説上の人物は自分のことであると知