45年ぶりの読書感想文「解釈」との出会い

僕が今、ライティングのあれこれを学んでいるとあるサロンで、ある課題が出された。

#読書の秋2021

コピーライター阿部広太郎さん著の
#それ勝手な決めつけかもよ
を読んで読書感想文を出して欲しいとの課題。

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読み始めていきなり『解釈』という言葉が飛び込んで来た。少し盛り気味に言うと、この時、積年のもやもやが晴れた気がした。その瞬間に脳みそに鳥肌がたったのだ。

僕はある時『人はなぜ?不機嫌になるのだろう?不機嫌って必要なの?』という課題に向き合っていた。その背景は割愛するが、その時僕は『不機嫌は不要だ。生きて行く上で何も生産性が無い』と位置づけ、『不機嫌になるのは、ヒューマンエラーではなく心のクセから起こるシステムエラーから生まれるものなのだ。システムエラーだから、そのシステムを改善することで、感情の生産性を向上することが出来るのだ!』という自分なりの正解にたどりついたのであった。

心のクセを緩める習慣

ただ、自分で解いたはずのこの解がなんか、、、腑に落ちない、、、
『心のクセって、結局、ヒューマンエラーじゃないの?』
『なんか、もっとしっくりくる言葉はないのか?』そんなことをその時、感じていたのだがそのまま放置していたのだ。
上の図を作ったのが、2020年の7月。なので、腑に落ちないまま1年以上放置していたことになる。

そして、本書『#それ勝手な決めつけかもよ』に出会い、1ページ目でその解に出会えたのであった。そうだよ!『解釈』じゃん!心のクセなどめっちゃ曖昧なフレーズより、解釈のクセってした方がスッキリするじゃん!
てことで修正版がこちら

解釈のクセを緩める習慣

どうですか?僕的には、かなり気に入ったまとめになったと思う。

これから解釈のシステムエラーを正しながら、穏やかに生産性の良い日常を過ごせるはずである。
では、『良い解釈』が出来るクセ付けのために、本書の第一章「自分編 自分の知らない自分に出会う」の中の「受け取った名前×見出した意思」を参考に、自分の名前と向き合ってみた。

秀明の秀:他のなによりも成長の早い穂が垂れ下がる様子を表している

この受け取った「秀」という名前から僕が見出した意思は「実るほど頭が下がる稲穂かな」であり、驕らず、謙虚にそして素直に優しく振舞える自分でありたい。という意思だった。

秀明の明:月の光が窓から差し込み、その一面を明るく照らす

この受け取った「明」という名前から僕が見出した意思は「明けない夜は無いように、どんな環境でも明るく前向きにその場を照らしたい」と解釈した。つまり「秀明」とは、『人生の過程の中で、たくさんの人やモノとの出会いを繰り返し、その中で時にはその人やモノに光を与え与えられ、可能な限り前を向いて素直に優しく振舞えるそんな人で有り続けたい』という意思を受け取った気がした。

今年還暦を迎え、人生の折り返し点は当の昔に過ぎているがその節目に、この解釈に出会えたことに素直に感謝したいと思います。

そう簡単には行かない事はわかってる。
けど、これから「不機嫌不用説」をまだまだ掘り下げて日々朗らかで幸せな時間を過ごしていきたいと思う。

ヤスくん!そして阿部広太郎さん!この様な機会をありがとうございました。
これからも、良き解釈が出来る優しいおじさんを歩み続けます!
#読書の秋2021
#それ勝手な決めつけかもよ

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