見出し画像

【京都舞鶴で、"生き方"を学ぶ】〜vol.2〜

あなたにとって "戦争" "平和" とは何ですか。

舞鶴引揚記念館

敗戦後。長きに渡りシベリアへ抑留されていた方々を受け入れていた港の1つが、舞鶴港でした。そして関係者の方々の努力により、引揚に関わる一連の資料を展示する日本唯一の施設として設立されたのが、この「舞鶴引揚記念館」です。初めは "記念" とあって、どういった施設なのか想像がつきませんでした。

画像2

副館長から展示を案内して頂く中で、"戦後"の日本人が突き付けられた惨状と現実を知りました。それでも"ごくごく一部"です。

事実、私がカナダで経験した極寒よりも間違いなく凍えた気候の中で、ひどい肉体労働を強いられていました。そんな劣悪な環境でも必死に、必死に働いて、日本の未来の為に尽くしてくれた方々がいて。亡くなってしまった方々がいて。

今、自分達が当たり前の様に意見し、夢を語ることが出来る現状が、どれだけ、恵まれていることなのか。

一度でも多く考える必要があります。そして後世へ伝え続ける義務があるのではないでしょうか。怠っていた自分が本当に情けないです。

まず『知る』ことから始めなければいけないなと率直に思いました。正直、モラル的に現代とギャップがあり過ぎて目を背けていました。しかしこれを機に"戦争"についてのドラマや本などで改めて、その"悲惨さ"をインプットし、二度と起こしてはならないというマインドをより強くしアウトプットしていきます。

「海上自衛隊舞鶴基地」

画像4

沢山の現役自衛官の方々から、施設や乗り物の仕組みとその役割を教えて頂きました。

画像4

画像4

中でも実際に活動している大型のヘリコプターやイージス艦の迫力と存在感は圧倒的でした。操縦されている方々の表情や体付きからも、その緊張感と強さが ヒシヒシと伝わってきます。

交流会では、私よりも歳下ながらに役職を持ち、堂々とお話しされている方がいました。ひたすら尊敬しますし、まだまだ私も厳しい環境で鍛えられた経験がないなと、ふと思いました。

【まとめ】

舞鶴。そこは今も昔も強い"責任感"と"覚悟"を持った方々が集まり受け入れ続ける街でした。

最終回へ続きます…。

〜vol.3は こちら をpush〜

〜vol.1は こちら をpush〜

最後までご拝読下さって誠にありがとうございます!イイネ!と思ったら♥お願いします!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?