#26:砂
久しぶりの長文で、面白味も読みやすさもない文章です。
でも今勢いで書かないとダメな気がしました。
2024年も半分過ぎました。
前半だけで
・楽器店に転職する
・おばあちゃんを亡くす
・彼女にふられる
最近では姉に子供が産まれ、おじさんになりました。
大ニュースだらけです。
突然ですが皆さんは「ぼくのなつやすみ2」をやったことがありますでしょうか。
子供が田舎で夏休みを過ごす、言わずと知れた神ゲーの2作目です。早くリメイク出して。
そんなゲームの中で「君は悲しいこと平気かな?」とか「何歳まで子供でいたい?」と聞かれるシーンがありました。
そこで僕は何の成長もしないまま26歳を迎え、年齢的には完全な大人と化していたことを久しぶりに思い出しました。
果たして僕は大人になれたのでしょうか。
3月末。
記憶上、初めて祖父母を亡くしました。
両親、親戚が葬儀の電話で忙しく出ていった後、おばあちゃんと2人になった霊安室の冷たさを今でも覚えています。
おばあちゃんが死ぬ前に僕の事を1番心配していたと親戚から聞いた時は悲しさと申し訳なさと情けなさで泣くことしかできませんでした。
生前から自分がしんどい時にも他人の心配ができるような、素晴らしいおばあちゃんでした。
かたや孫の僕はそうではありません。
自分の事しか考えず、人の事を考えていそうで考えていない人間です。
同棲生活も幸せだと思っていたのは僕だけで彼女はそうは思っていなかったようです。
よくこんなゴミ野郎と一緒にいてくれました。本当に申し訳ないです。
1人暮らしになるのは大学時代と一緒ですが、孤独を感じるのは人生で初めてです。今でもたまに新居にいながら「どこここ?」と一瞬頭がパーになります。
大阪に来た時はぜひ来てやってください。駅からは遠いけど、64とかWiiとかあるよ。
落ち込むことは苦手ですが、今はなぜか元気になる事を自分から避けているような気がしてます。落ち込んでいると自分で自分を守っているような、そんな気もしてます。
落ち込んでいる時に「時間が解決してくれる」と言われた事がありますが、それは解決じゃなくて風化だろと前まで思っていました。
どこかに解決できる方法があると信じていて、全部どうにかできると思っていたからです。
実のところ、そうではありません。
働いていない時期に「自分は神でもなんでもないからどうにもならない事がほとんど」と思えるようになったのはなかなかな学びでした。
それを理解しながら、まだまだ立ち直れそうにないです。
悲しいことは全く平気ではありませんでした。
無理して元気を出す必要はないとは思いますが、落ち込むのがデフォになったら前みたいになって終わっちまうとも思います。
というか何で落ち込んでるのかも分からなくなってきました。情緒が完全に終わってます。
こんな時にも仕事をするのが大人です。難易度高すぎる。
話は変わりますが、僕は昔に戻りたいと思うことがたまにあります。当たり前ですが無理な話です。
無責任なまま、親戚の田舎を過ごしていた小学生の時にも、同棲していた時にも戻ることはできません。
今持っている時間より過ぎ去った時間に貴重さとか楽しさを感じてしまいます。逆に過ぎ去ったからそう感じるのでしょうか。
小学校の夏休みと言えば、とりあえずラジオ体操に行っておはスタを観て、遊ぶか習い事をやり、宿題はせずに寝ていました。
何が楽しかったかと聞かれたら困りますが、今は何か楽しかったと言えます。
子供の頃、大人は8月の終わりに宿題が無くていいなとか、舐めた事を考えていました。
白紙の1行日記に雑に書き連ねていた
「特に何も無い1日」
が今ではとても素敵なものに思えます。いや絶対何かはあったんですが、その日に書くのは性格上不可能でした。
むしろしっかり1行日記を毎日書けた人は自慢していいと思います。
大学時代も週7でバイトしたり卒論で死にかけたりしてましたが、今考えたら楽しかったことの方が多かったです。バンドとか。
今はどうでしょうか。
憂鬱なまま、仕事では素を出さず、ピエロのように過ごして帰ってきて寝る、明らかに子供の頃より何も無い日々の繰り返しです。
こんな日々でも、あの時期はよかったと思えるでしょうか。3,40代になった僕は今の僕に何と声をかけてくれるでしょう。
「案外悪くないよその時間」
と多分言ってくれるでしょう。
過ぎ去った時間は多少キラキラしたフィルターがかかって見えるからです。
大人は時間で解決する生き物なんだと気づきました。それしか方法がないことを受け入れているからです。
大人になるって難しすぎませんか。
分からないまま、26歳まで来てしまいました。
僕は今、1行日記に
「今日は何も無い、素晴らしい1日だった」
と書けるようになりたいです。
もし今日が素晴らしくなくても、いつの日か「何かよかったな〜」と言える日が来ると嬉しいです。
26歳の僕はその時やっと救われると思います。
大人になるというのはなかなか残酷です。
何の変哲もない砂のような日々でも、手から零れ落ちた瞬間にキラキラして見えるのを懐かしく思うしかないので、砂のような日々に楽しみを無理やり見出す、ある意味での子供心も必要だと思います。
だんだん頭が疲れて何を書いているのか分からなくなってきました。
やはり僕に真面目な文章は似合いません。
こういう文章って大体後から見返したらゴミみたいに思えませんか。
自分で書いた長文だけは後から見たら砂に見えるというオチです。
1人になった部屋に25℃の冷房はよく効きます。
夏ですね。
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