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SNSと向き合うということ&最近の脳内

インスタグラムをやめて2週間。突如として投稿してみた写真(添付したドイツホットワインの画)やその心情と向き合って考えたことについてちょっと文字にしてみる。

インスタグラムをやめた経緯――自分が辛い時間に飲み込まれた時、何故だかわからないけれどそれっぽいことをEnglish capでストーリーズに投稿していた。どうしてそういうことをしてしまうのか(ネガティブなことだと考えている)、「その状態にあることを知って欲しい」「自分の悲しみを誰かにシェアしたい」という感情がなぜ湧き起こってくるのかはよくわからない。私はそういう弱い部分を人に見せることは好きではないし、完全に隠し通せるタイプではないけれど、少なくとも自分は自分自身で弱さを抱えながら生きていけるタイプだと思っていた。

それでもストーリーズにのこのこ載せ続けては2時間後くらいに投稿したことに対する後悔の念に襲われる。「なんて自分はかまちょなのだ」と。そしてSNSを使うときに自分の心理状況についてすごく考えさせられる機会があったときに、他の人の意見をかりながら自分で言葉にしてみた。

まあいろいろあって、結論としては写真を取ることで思い出を残すというカタチしか私は見えていなかったと自分の生活を振り返って感じた。Ed SheeranのPhotographという曲に”So we keep this love in a photograph”という一文があって、私はこれが好きだ。写真は自分自身の思い出を振り返る時に大切な手段である。あの時の情景が、感情が、視覚的に鮮明に蘇ってくる「写す・映す」という営みは、人類にとってそれはそれは魅力的だ。

その一方で、私にとっては写真は思い出を残す手段というよりむしろ思い出を作る目的になってしまっていて、なんともいえない虚無を感じる日々が続いていた。食事に行く店は写真で撮って綺麗なところがいいと思い始めたし、なにかきれいなものを見たら写真に収める。パシャパシャパシャ。プロでもビデオクリエイターでもないがいっちょまえにアングルを気にしてみる。

いつから私はカメラ越しにしか世界を見なくなったのか。究極は全てをスマホ越しに見ている今という自分の生活は、ある意味フェイクなのかリアルなのかわからないし、フィリピンに行って世界の見方が変わったという経験が身体的なものであったが故に、身体性から切り離された経験が日常的になりつつある現状に、少しばかりの危機感を感じている。

フィリピンの振り返り会をしていても写真をたくさん残してくれていたことは本当に意義深く、私も「写真いっぱい撮ろう」と思ってはいるものの、写真という形で永遠になるものたちと、写真にならない、なれないものたちが自分の中で永遠になり得ないことへの違和感がとても大きいのも事実。「写真を撮る」「撮らない」の二元論ではないにしても、ファインダー越しに見ることと、過去を記録することについては、もう少し先達や友人たちの知恵を借りなきゃなと思う。

自分という人間の人生における映像についてあれこれぎゃんぎゃんいってみたところで、情報の90%は視覚と言われるほど大切な器官だし、そこから得られる世界の美しさは圧倒的である。いかにも「筆舌に尽くしがたい」と形容する通り、言語で補完できないものがあるのも事実ではある。

ただ、普通に生活していたら"見"失ってしまう部分をもっと具にみたいと最近切に感じる。写真では残らないけれど、確かにそのことについて考えたという自分の足跡が見返せるノートをつくって、日記を書いたり詩をつくったりしている。始めて1ヶ月ほどが経つが、私は本当に怠惰で継続というのが全く似合わぬ人間であったが、なんだかんだ日が空きつつもここに立ち返ってこれるのは、SNSで発信しているという義務感ではなく純粋にこの行為を楽しむという素朴さがあるからだということに気づいた今、私の好きなことがどんなことなのかわかり始めた気がする。自分の最大の理解者が自分になるのにはまだまだ程遠い道のりである。

詩については専ら読む専門で自分でつくることはあまりないが、代わりに自己表現のために俳句を学び始めた。これがまた非常に奥深い。三十一文字で情景と自分の感性と他者へのメッセージなどあらゆるものを込められるわけだが、季節を愛でる心や言葉に対する感性をこれまで見失っていたとありありと感じる。ある意味学び直し(unlearn)ができていることに喜びも感じるし、価値を再発見すること自体が自分にとっての永遠になるのかなあとか、考えてみたり。

こうしてまた、自分自身の近況を綴ること自体、以前の私は価値を見出せなくて「かまちょ」「めんへら」などと形容していたけれど、まあかまちょでもいいのかもしれないと今なら思う。ただ、その行動のベクトルが結局「自己肯定感を高める」というものであれば全て辞めたいけれど、いまのところ、自分を騙し騙しであったとしても比較的健康的なのかなと感じている。今のこの変換群がどう組み合わさって将来の自分になっていくのかという傲慢なワクワクも少しだけ心の片隅に置かせてもらっている。

10月に、いつまで経っても強くなれない自分に対してとりあえず自分がなりたい自分像というのを決めることにした。その姿に今はまだまだ程遠いけれど、これまでの人生でテニス以外にこんなにも自分自身のためにマイルストーンを立てながら生きたことはなかったかもしれない。

ナイトルーティーンも、ヨガも、毎日の身だしなみも、いくらでも面倒くさくなれるし、それらを取っ払って生きていくことだって当然できる。社会人になったら今のゼミの忙しさとは桁違いな生活になると思うけれど、時間がない時に自分自身を慈しむこれらの時間を削ってしまうのが私にとっては耐え難いことなんだと人生22年目にして気づいた。

ヒルティの『眠られぬ夜のために』の中で「夜は怖いというが、昼は怖くないのか」という感動的なレトリックに出会った。私なりに解釈(曲解?)すると、確かに、不確実なことやわからないことは怖い。それは何があるのかわからないからこそ自分でコントロールできない自分の無力さに慄いているとも考えられる。

しかし、現代社会で自分自身で完全にコントロールできることなんてほんのひとつまみもないはずなのに、「昼なら大丈夫だ」と思ってしまう。きっと自分自身の「わかる」「わからない」「コントロールできる」「できない」はスペクトラムに溶け込んでいるのにまるで自分で線引きができるかのように分類し、自分の秤で計量してしまう。だからこそ、感性というのがやっぱり大切なのかなあとか、分析的に論理的にあろうとしすぎた自分自身がある意味で自分自身の世界を決定していたのだなあと感じた。

大学の人類学の講義で、佐藤信夫先生の「愛が少年する」というレトリックがあったが、これも論理的に考えたら意味がわからないし、分析さえも困難かもしれない。しかし、この文脈を感覚的に共有していればその「核心に触れられない、わからなさ」という余白が人々を繋げ、多様な解釈のなかに一つの意味を見いだせるような気がする。(『話の話』を鑑賞して一番に思ったことにも近い)

一つの本や映画を鑑賞しても全く等しく解釈する人はいないのと同じで、余白がるからこそ人は、世界は繋がれるし、その繋がりがあるから導かれる。ああ、この繋がりの話になるたびに『罪と罰』を読まなきゃと思うのにまだ読んでない、、よみたいよまなきゃ、、

思考のメモ程度の話を文脈を丁寧に共有できないままだらだらとしてしまうのもよくないけれど、きっとそういうことを気にしていたのも、自分のこのアカウントは自分と他者との対話要素だという考え方が強かったからなのかな。なんでも好きなことを書くぞー!と思っても、なんだか尻込みしてしまって、iCloudに葬られるだけだった。

しかし、こういう文字起こしという作業だけ見ても明日以降の自分はきっと今日の自分に感謝すると思う。レヴィ=ストロースの「城」のレトリックが好きすぎて多用してしまうが、いつか自分の「城」が見られたとき、私はその変換群がこれだったのだと言えるように、何が削ぎ落とされたのかがわかるように、残していきたいと思う。今は見苦しいほどにゼミゼミしている私だけど、きっといつか「頑張ってよかった」「giveだったなあ」と振り返る時が来ると信じて、たとえ大阪勤務になってしまっても楽しみの心を持てるような、素直で前向きで、周りをもっと見ながら行動できる人間になっていきたい。まとまりませんでした。

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