僕らは誰もが誰かを騙しながら生きている~発信者と受信者の心構えの違い~


大手だから安心。
国産だから大丈夫。
テレビでやってるから本当。
偉い人が言ってるから間違いない。
イケメンだから正義。
流行ってるから面白い。

僕らはいつも、気付かないうちに、
情報発信者の手玉に取られてしまっています。



情報を発信する側は、よく、
そのコンテンツの価値を高めるために、
「インフルエンサー」という装置を使います。
 
「インフルエンサー」とは、最近では、

「メディア上で多くの人に影響を与える、
フォロワーやファンの多い人」

という扱いをされることが多いですが、広い意味で言えば、
肩書とかブランドも、「インフルエンサー」と呼べる装置です。


見た目が同じ内容のコンテンツを扱っていたとして、
実績が沢山ある有名な人と、
誰も知らない無名な人とだったら、
ほとんどの人が、有名な人の方に飛びつくでしょう。

もしかしたら、よくよくじっくり見ていったら、
無名の人の方が良質なコンテンツを提供してくれるってことも、
往々にして、あるにもかかわらず、です。

「国内シェア率No.1!」みたいな広告が入ってたら、
そっちの企業の方を選んじゃうのが、ほとんどの人。

そして、企業の方もそれが分かっているから、
そういう実績や肩書、ブランドなどを、
「インフルエンサー」として広告に使用するわけです。



その手法自体は、悪いことじゃないですよね。


何かを売ったり、広めたりする活動をしている人の多くは、
自然にそういう方法に手が伸びます。

自分のコンテンツを、有名な人に拡散してもらえたら、
それはすごく嬉しいじゃないですか。

実績を積んだら、それを主張するわけじゃないですか。
「あの有名企業でも導入済み!」みたいな。

それは、正当なマーケティング手法なのです。

僕だって、エレメンツコードは、
拡散力のある人に宣伝協力をしてもらうことがありますし、
「延べ2,000人以上を分析!」みたいな実績も書きます。

よくよく考えたら、それがおかしな話だと言うことも、
ちゃんと理解した上で、です。

別に、どんな人がやってくれているかっていうことは、
エレコの分析の精度には何も関係ありません。
「あの有名な●●さんも分析しました!」
みたいなことを言ったところで、
それはちゃんと論理的に考えたら、
エレコのシステムとしての価値を担保することにはなりません。

それに、延べ2,000人以上を分析したからって、
「だから何?」ですよ。
よくよく考えたら、それを言われた人が、
だからといって自分も受ける理由にはならないはずです。


というふうに、おかしいのは承知で、でも、
「●●さんもやった、って言えば、じゃあ私もやろうっていう人が増える」
「2,000人がやってる=流行ってる=自分もやりたい」
みたいになることを期待して、だから書いているのです。






そういうようなことを、
この世の中の「発信者」のほとんどが、
当たり前のように、やっています。

自分のコンテンツ、発信内容の信頼度を増すため、
拡散力を上げるため、あの手この手で、
「インフルエンサー」を仕込んでいるわけです。

例えば、ガンダムのプラモになんか興味ない女優に、
「ガンプラ最高」とか言わせるのも、その類ですよね。

そういうの自体は、悪いことじゃないのです。

「インフルエンサーの力を使ってより効果的に宣伝できるなら、
ぜひとも進んでそうしたい」
とほとんどの人が思うでしょう。





でも、問題は・・・・

自分が「発信者」側にいる時は、
「インフルエンサー」の使い方を考えるのに、
一方で情報の「受信者」に回った時は、
それほど内容を吟味しない、ということです。


自分が「発信者」の時は、元のコンテンツの価値が、
「インフルエンサー」によって大きく拡大されていることを、
ちゃんと知っています。

元の価値を「10」とし、
インフルエンサーが「10倍」にする効果を持っているとすると・・・・

「元の価値10×インフルエンサー10=100」

になりますが、「元の価値は10である」ということを理解しています。


けれど、これが「受信者」側になった時には、
「100」として発信されたものに対しては、
「これは100の価値があるものなんだ」
と受け取ってしまいがちになります。

当然それも、何らかの「インフルエンサー」によって、
元の価値よりも高められているはずなのに、です。

「元の価値(本来の価値)ってどれくらいなんだろう?」
と考えることをせずに、見たまんまを受け取ってしまうのです。



大手だから安心?
大手ってことは、社員が沢山いるってことで、
ピンからキリまでいるはず。
その中でもレベルの高い社員は、
もっと上客につけるはずだから、
もしかしたら自分のところに回ってくる担当者は、
クオリティが低いかもしれない。

国産だから大丈夫?
国産の畜産・農産物をチェックする基準と、
輸入のそれらをチェックする基準は、全然違うのに?
輸入品の方が、危険性が高いからって、
厳しいチェック項目を通過してきているんだから、
それでも入ってきているものっていうのは、安全なはずじゃない?
むしろ国産の方が、安全管理はずさんなこともあるのに?

テレビでやってるから本当?
テレビなんか、いくらでも編集で嘘をつけるのに?

偉い人が言ってるから間違いない?
その偉い人だって人間だから間違えるかもしれないのに?
どんな分析者だって、
データが間違ってたら正しい分析はできないのに?

イケメンだから正義?
顔がかっこいいことと、
言ってることややってることが正しいのと、何の関係が?

流行ってるから面白い?
その「流行ってる」という現象自体、
「インフルエンサー」によって作られたかもしれないのに?
心理学的に言う「バンドワゴン効果」が働いているだけかもしれないのに?


・・・・こういうことを、人は、
自分が受信者に回った時には、
あんまり考えなくなってしまうのです。

勿論、なんでもかんでも疑って、
つまらない受け取り方をするのもどうかとは思います。

けれども、もうちょっと、
「本当のところはどうなっているのかな?」
って考えるクセを、つけてもいいんじゃないでしょうか。



自分が発信する時は、大なり小なり、
「1を10にして言う」ということが、あるでしょうに。
針小棒大という四字熟語は、
そういう性質が人間にあるからこそ生まれた言葉です。

でも、自分が他人から受信する時は、
「あの人が10と言ってたから10だ」って決めつけちゃう。
それで、後から10じゃないことを知った時、
「10だって言ってたくせに、騙したな!」
みたいに怒りを覚える。

それ、おかしな話だと思いませんか。

「あの人は10だって言ってるけど、
もしかしたら、5かも1かもしれない」

っていう可能性も自分で踏まえておくのが、
正しい考え方じゃないでしょうか。

もしくは、後から10じゃないことが発覚しても、
「まぁそりゃそうだよね~
オーバーに言うよね~
10なわけがないよね~」

って、納得すればいいだけの話。

自分は発信する時に1を10にするくせに、
他人の10が1である想定をできないのは、
ただの、その人の想定不足。

「騙された」と怒るのは見当違いでしょう。





長くなってしまったので、結論。


悪い言い方をすれば、僕らはみんな、
誰かや何かを、「騙しながら」生きています。

大なり小なり、誰でも、です。

それを、当たり前のこととして受け入れて過ごしたらいいのに、
と僕は思うわけです。 

誰かに「騙された」って分かった時だけ、
その相手を責めるんじゃなくて・・・・
まぁみんな、騙し騙し生きているよね!って。

それは、悪いことでも何でもないのですから。

誰もが、大なり小なりおこなう、自然な営みのひとつです。



ただ、でも・・・・

それをちゃんと自覚して生きることができたなら。

誰かの言ってきた10を、
もしかしたら1かもしれないなって、
見破ることができるかもしれません。

それにより、自分のマイナスを減らせるかもしれません。


人を疑うとか、信じないとか、
そういうレベルの話じゃないんです。

誰もがみんな騙して生きているんだから、
それは当たり前なんだから、
そんな中で気持ちよく生きるためには、
みんなそうだよねっていうことを受け容れていこうよ、
っていう話なのです。



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