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ever free①

◆まえがき◆
これは、私が25年くらい追い続け囚われ続けている【hide】への想いを消化したいがために書く文章です。

ほんとに、バンギャなどと名乗るのも恐れ多いような ただの田舎の高校生だったヤツがBBAになってから書いてます。
感情的な文章になることをお許しください〜。

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元来、わたしは沼にハマりやすい性質で、いろんな沼にはまってきた。
その中でも特に深く沈んだのが、「hide」である。

hideさんのこと。

本名、松本秀人。

X(X JAPAN)のギタリスト。

hideだったりHIDEだったり松本秀人だったりひでちゃんだったり、彼を愛する人は、いろんな名前で彼を呼ぶ。
めんどくさいよね、知ってます。でもそれでいい。

出会いは1992年。昔すぎて引くわ。
私が小学生の時に見た紅白歌合戦で「紅」を演奏するXを見て、初めて存在を知った。真っ赤な長い髪を振り乱して、ギターを弾きながらステージを右往左往するお人形のような人。それがHIDEだった。

・・・・・・
今考えれば

コレ連獅子じゃん!ねえ!!
(私は歌舞伎も好きです・・・)

hideさん赤い髪だけじゃなくて白い髪もやってるし、連獅子hideとかのグッズ出来ないかしら。。

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歌舞伎も、ロック魂が感じられるものがたくさんあって、バンギャさんにもハマると思うんだよなー。映画館で見られる歌舞伎もあるからぜひ見てみてね。

hideさんの活動について。

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hideの話に戻る!脱線大好きでごめんなさい。

Xが解散する前からhideは、ソロ活動をしていた。
テレビで最初にソロのhideを見たとき、Xとはまた違うPOPな音楽で、なんか楽しそうだな〜と思った。


あと変な格好のバンド仲間。何だこの人たち。

でもなんか面白そうだな〜、結構好きだなと思った。
でもまあそんなもん。
急に夢中になったかというと、そうでもないのだ。

1997年12月31日、Xが解散した。
数か月前にメンバーの会見があって、悲しいけど分かっていることだった。
友達はラストライブに行ったけど、私は行かなかった。家のコタツで、Xの最後の紅白を見てた。

hide始動。

その次の日、1998年1月1日。
【hide 起動。。。】という名のもとに、朝日新聞にデカデカとした広告を載せて、本格的なソロ活動をスタートさせた。

へえ~!解散の翌日にこんな行動を起こせちゃうhideってすごい!かっこいい!と16歳の私はたぶん思った。思い込みもあったとは思うが、そこから速度を上げてhideを追い始めることとなる。

音楽だけでなく、彼が身にまとう服も、話す言葉も、全部自分に言ってくれてるように感じる。
ハイ、妄想生活の始まりね。

なんだか理由はよく分からないけど毎日がつまんないな~~~というわたしの日常に、ピタリとハマってくれたのがhideだったんだと思う。

好きな人がこの世から消えるということ

なけなしのバイト代を、hideが出る雑誌へとつぎ込んだ。hideを好きな友達って周りには少なかったからあんまり言葉にすることはなかったけど、次に出るアルバムをかなり楽しみにしていた。

そんな高校2年生の5月2日。ゴールデンウイーク前日の夜、テレビでニュース速報が流れた。

hideが亡くなった、と。


その時のことは、今回は書かない。
書くと感情だけがあふれてしまう。

ともかくそこから22年…?
22年も経つのに。
その時に動かなくなった部品のようなものが私の中にたくさん残ってる。
そのせいでいまだに、心にも身体にも不具合が起きちゃったりする。原因は分かってるけど、気に入ってる部品だったりするから捨てられない。

それとは裏腹に、Xが解散したときもhideが亡くなるまでの間も、この世で一番hideを愛していたかというと正直そうではなかったと思う。

しかし高校2年生。思春期の多感な時期に、一番じゃないとはいえかなり好きだった人が死ぬ、というのは今までに感じたことのないショックだった。
こんなことあまり自分で認めたくはないけど、大切な人を亡くした自分というものに酔いたかったのかもしれない。

周りの友達は、高校を卒業してからだんだんとhideを忘れた。私はというと、逆にのめり込んでいった。

社会人1年目、自由に出来るお金が増えたタイミングで、横須賀にhide MUSEUM
というhideの記念館が設立されたからである。

ever free②へ続く

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