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米粉パン作りと損切りとの間

冷蔵庫の中に鎮座している米粉の袋。冷蔵庫の扉を開ける度に、何度も失敗したパン作りをするようにと、無言のメッセージを送ってくる。これまで3回も試したが、満足のいく結果が出ていないフライパンで作る米粉パンのことだ。

ネットで調べた限りでは、短いやつだと15分、長くても30分程度の簡単さだ。フワモチっとしているものから、外側はカリッとスコーンぽい仕上がりのものまである。期待に胸を膨らませて作った第1回目のものは、ナンにしか見えないしろものとなった。その次は、ピタパン。そして3回目は、生感がやや残るおやき風あんぱんだ。その都度、参照するレシピを変えて、やり方に工夫を凝らすものの最初に想定していたものと全然違うものしかできない。

2度あることは、3度ある。いや、もう4度目のチャレンジとなる。幸いなことに米粉は1キロ分しか購入していないので、あと数回パン作りをやれば、消化することができる。朝食のパフォーマンスを考えると、私がやっていることは、ビジネス界で言うところのサンクコストを回収するために、損切りができない愚か者の行為となるだろうか。いや、まだリソース(米粉)はたっぷりある。損切りをするタイミングとしては早すぎる。もう一度やってみよう。

これまでの失敗を振り返り、ちょっとだけやり方を変えてみる。

・フライパンは、前より大きいなものに変える。
・パンは、小さめに形作る。
・中身は、冷蔵庫の中にあるいろんなものを入れてみる。ヒジキの炒め物、小豆、しょうがのシロップなど。

パン作りは、生地の水分具合のよい頃合いを探るのが難しい。パンの中身となる具の水分が多いと、全体的に生地が緩くなって形がまとまりにくくなる。かと言って、生地が固いと、今度は焼く前に仮置きしたまな板にベタっとくっついてしまう。フライパンで焼く時も、それを意識して慎重にひっくり返さないと、隣のパンと衝突してしまい、望まれない結合が起こってしまう。

洗い物を少しだけ楽にするために選んだ小さめのフライパンと、焼く回数を減らすために形どった大きさのパン。私のちょっとしたモノグサ心、いや、ビジネス用語ではコストパフォーマンスと賛美される行為が裏目にでての失敗続きなので、今回は逆のことをやってみる。やっぱりビジネスでも言われているように何事も余裕が大切なのである。パンもパン同士の間に余裕を持った空間がある方が安心できる。

第4回目のパン作りは、まだ成功とは言えないものの満足いくモノができた。パンの中身もそれぞれ違うので、ちょっとずつ食べて結果を占うロシアンルーレット風だ。

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それにしても、パン作りを第3回目で打ち切っていたら全ての行為がサンクコストとなってしまった。第4回目があったから、これまでのことは実験過程と考えられるようになる。サンクコストという考え方の扱い方には、慎重にならなければならないと思う。結局、結果が出れば粘り強さが讃えられ、そうでない場合には愚か者と言われる。なるべく愚かにならないために、事前にエグジットプラン(損切り)を立てるのがスマートと言われるのは、人間は失敗した時のことを考えて行動できないからかもしれない。

米粉パンのことを考えると、1回目で今回と同じ出来栄えを期待していたし、そもそも料理時間が1時間以上もかかるのは想定外だった。レシピには30分と書かれている。この現実を知っていたら、米粉パンなんて作らなかったと思う。小麦粉アレルギーではなく、単に、お米でもパンができるという事実が面白いと思った程度のモチベーションだし、レシピを見る限り簡単そうだった。私の失敗した時のことを考えない楽観性は、米粉という世界を一つ開くきっかけになったし、これは遺伝子雑学的に言われている、色んなことを試して生存力を高めるためにうまれ備わった知恵の1つなのかもしれない。

そう思うと、ますます損切りというのは、非人間的な行動に思えてくる。現に、私たちの祖先は、発酵食品という、人間の身体にとってはよい、が、腐った食べ物を偶然にも見つけ出している。もったいなくて捨てられない損切りしたくない心の副産物だ。

お酒の起源は、果物を保管していた壺の中で野生酵母が発酵して偶然生み出されたものと言われている。見たことがない形に果物がなれ果てても、私たちの先祖は、お腹を痛める心配よりも、もったいない心の方が打ち勝ったようだ。もちろん果物は腐ることもある。だから腐ったものを食べてお腹を痛めたものもいるし、運よく発酵だった時は美味しい果実酒が楽しめただろう。お腹を痛めた者の中には、液体化した果物には2度と近寄らなかった者もいるだろうし、今度は何か違かもと何度も舐めた者もいたかもしれない。そこまで考えてみると、これはサンクコストの二面性の話しと似ているなと思えてきた。結局結果がどうだったかで、行動の評価が決まるということだ。

日常に潜むサンクコストの罠をどう考えるか。

WTOによるパンデミック宣言から株式市場の狂乱状態は確実なものとなり、損切りするか耐えるかの選択肢を迫れられている投資家たちが、このタイミングでは誰よりもサンクコストについて考えていそうだ。どんなに緻密な計算が得意だったとしても、ウィルスの世界的な蔓延を時期まで含めて予想できた人は、リーマンショックの時に逆張りして勝ち抜いた強者たち*ぐらい数少なそうだ。今回、出し抜けることができた人は、世の中に潜むあらゆる偶然性の可能性にかけたオプション使いの達人たちだろう。どちらにも転びえるという両方の可能性に対する準備をしていたストリート・スマート達だ。

さて、果実酒を始めとした数々の発酵というご褒美を見つけることができた、私たちのご先祖は、どうやって偶然性を味方につけたのだろうか。オプション取引などなかった時代の彼らもやはり両方の可能性(腐っているor食べられる)に対してオープンマインドだったのだろう。そして、賞味期限ギリギリの食べ物に直面した時の私たちが、舌にちょっとだけのせて確かめるように実験したのかもしれない。決して、お腹を空かせた時のようにガッツいて大食らいをしてはいけない。口にしたものが危険だと察知した瞬間に、簡単に口から吐き捨てられる分量が適切そうだ。それはどこか、余裕資金で投資を少しづつ始めようという地味な教訓に何か似ているものを感じる。

食べ物とお金。どちらも生きるために必要なアイテムだ。だから、そこから考える未知のものに対する向き合い方には、共通する知恵があるのかもしれない。未知なるものの偶然性を楽しむためには、一か八かで壺の中の液体を一気飲みするのではなく、チビチビ試す、実験心が大切そうだ。

米粉パンの偶然の女神に出会うまで、もう少し、私の小さな実験は続きそうだ。

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*正確には逆張りをして勝ったのではなく、ロジック・モンスターと呼ぶべき99%の人には理解できない数字だけでの驚異の判断力でリーマンショックを見抜いた投資家の人たちのことである。実話が映画にもなっており、現場で何が起こっていたのかを覗きみることができて、その当時の異常な状態がよくわかるストーリーに仕上がっています。


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