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記憶の珍味展:マインド・ワンダリングの部屋

展示が開催されてから二度鑑賞しているにも関わらず、何度も訪れたい作品がある。資生堂ギャラリーで取り扱われている諏訪綾子さんの「記憶の珍味展」だ。

諏訪さんが調合した様々な香りを嗅ぎながら、そこから引き出される、個人の記憶の連鎖を味わうという体験型アートだ。個々の参加者によって香りから喚起される記憶が異なるため、その体験自体を通して、「わたし自身を味わう」ための演出が手掛けられている。

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部屋の中央には円を描くように、神殿の屋根を支える支柱のようなものが等間隔で配置されている。その上に置かれている「記憶のにおい」が閉じ込められたカプセルを参加者は一つずつ持ち上げて、香りを味わうことが促される。懐かしさを感じるもの、生理的に拒否反応が生じるもの、幼少期の甘い思い出が舌にジンワリくるもの、嗅いだことがあるけど、何だか思い出せない歯痒いものなど。

香りの記憶の源流を言葉としてすぐに引き出すことができないもどかしさにしばらく耐えていると、その正体がおぼろげにあらわれてくる。友人と一緒に取り組むとちょっとしたゲーム感覚を味わえる。ただ、作品はここでは終わらない。作者は、その中からもう一度嗅いでみたい香りを1つだけピックアップするように勧め、次のステップとして、自分が選んだ「記憶のにおい」が食できる秘密の小部屋に一人ずつ誘っていく。

私は、緑色の岩石に海のような匂いがする作品を選んだ。会場のスタッフからは、「記憶のにおい」を食する前にと、「孤独と自由」と書かれた詩を読むようにと手渡された。そして、私の番がやってきた。ガイドの合図に従って、その食べ物「記憶の珍味」を食べた。その瞬間、私の頭の中には、海辺の岩の上で悲しみにくれる人魚のイメージが浮かんできたのだった。人間界と人魚の世界、その両方の世界を行き来できる自由と、わかってもらえない孤独さ。最後には、どこにも属せず、海の泡として消えた人魚姫の姿だ。

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人魚姫については、幼い頃に童話を読んだきりで特別な思入れもなかった。それにも関わらず、私の頭には、香りと詩から連想されるものが脳内でグルグルと駆け巡り、それを舌で味わった瞬間に複数の無意識が1つのイメージとして結合された。

この体験自体が驚きだったものの、何かに似ていることに気がついた。脳神経科学の知見をもとに書かれた上妻世海さんのイメージ思考と抽象思考の話しだ。

ここでは、人間がいかに相反する二つの思考の間を行ったりきたりしながら創造性が発揮できるようになるのかについて、最新の神経科学をもとに紐解かれている。イメージ思考とは、心理学的な用語だと「マインド・ワンダリング」、脳神経科学の文脈だと「デフォルト・モード・ネットワーク」と呼ばれているリラックス時に現れる白昼夢のような荒唐無稽なイメージのことである。

その少し虚言癖のある知り合いのイメージが、昨日食べた焼き魚を、焼き魚が学生時代の友人との楽しかった記憶を想起させ、それがなぜか先月見た映画のワンシーンを顕にする。僕は、意識のどこかではこのエッセイについて考えなければならないと思っているのに、映画のワンシーンが次に連鎖したオムライスのイメージによって、僕は身体的に食欲を刺激される。
出典:上妻世海-作ること、生きること-分断していく世界の中で

このような連想ゲーム的なイメージ展開は、誰しも体験したことがあると思う。分析的な抽象思考では導かれることがない、理不尽で不合理な物事のつながりのことである。通常、会社や学校の中では完全にオフになる(しなければならない)思考だ。それとは反対に、抽象思考とは、みんなが理解できるように因果関係を分析的に提示することである。今はロジカルシンキングの本や講座が巷に溢れているので、訓練を積んだものなら誰もがある程度はできるようになっている。ただし、そのフレームワークは、盤石が故に、それを使う者たちは、似たようなありきたりな解答の方向に導かれてしまいがちである。これは創造性とは相反するものとなる。他の人が考えないような視点から新たなアイディアを出すことが創造性であるとするなら、関連性があるかどうかわからない情報をもとに、それを結びつける力(想像力)を養う必要がある。その良い材料を得るためには、支離滅裂なイメージ思考に身を託して、その後、抽象思考モードに戻り、人間が理解できる形に作りあげることを上妻さんは提唱している。

さらに突っ込んだ具体的な内容は、原文で確かめて欲しいのだけど、ここで言いたかったのは、最新の脳神経科学から導き出される創造性の源が、「記憶の珍味展」での体験を通すことで、頭ではなく、身体レベルで理解できるということだ。作品に積極的に関わることで、創造性を作る一連の流れが味わえることは、他では中々体験できないことではないかと思う。

人間は、3,000〜10,000種類程度の匂い分子を認識できると言われている。それが複数掛け合わされることになると原理的には無限の組み合わせができる。原理的と言ったのは、「記憶の珍味展」に参加すると、自分の嗅覚経験がいかに貧弱なものだったのかを認識させられるからだ。やってみるとわかるのだが、視覚イメージから匂いや触感、味などを想像するのは容易だが、逆から紐解くのは結構むずかしい。中々、匂いからイメージを創出することができない。でも、それが創造性という点では役に立つ。例えば、同じある匂いについて、一緒に参加した友人達は「おばあちゃんの家」「お香」「薬膳料理」「カレー」と、それぞれ異なるものを想起した。香りというのは、物凄く雑に脳で処理されて、固定したイメージが定着されにくいという特性があるのかもしれない。ただ面白いことに、一旦言葉でラベリングされると、それまでは想起されなかったイメージとの結びつきがわかるようになるのだ。そして、それを足場にして、更なる香りの探求の世界に入れるのだ。なぜなら、最初に想起されるものと、その匂いとは完璧にはマッチしないので、どこかで違和感のムズムズ感が残るからだ。脳はその違和感を探すためにしっくりくるものを探し出そうと動き出す。

諏訪さんは、香りの調合の種明かしをしていないので、真実はわからないものの、現実には存在しない香りの分子の組み合わせをしているのではないかと思う。それが正しいとすると、本来は組み合わせることがない複数の記憶が混じり合うことで、もっと突飛な想念が引き出されてもいいはずなのだ。これは、現在の私の限界であり、私の創造性の採点結果とも言える。

私が着想した「人魚姫」のイメージ自体は、独創的といえるものではなかったものの、リラックスして、マインド・ワンダリング力が高まったら、次回はシューレアリズムの世界並みに不気味で豊な世界に放り出されるかもしれない。

かつてのシューレアリスト達は、20世期初頭に現れ、理性がコントロールし得ない無意識にアクセスし、それを視覚的に表現する芸術家集団だったが、諏訪さんは、視覚ではなく嗅覚と味覚を巧みに操り、芸術家の独創性を披露する旧来なやり方ではなく、観客自身を彼・彼女らの夢の世界に導くための魔術師的なやり方で、新しいアートの世界を切り開いている。

言葉を切断した時に立ち現れるマインド・ワンダリングの世界に浸るために、まだ諏訪綾子という魔術師の力を借りれるうちに、ギャラリーには何度も訪れてみたい。そして、いつかはこんな不思議な夢も見てみたいなと思う。

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