他者と比較しないジャッジしない視点
ダイエット要らずで細い人を見ると
「うらやましい!」
あと少し痩せていたら、わたしだってステキに見えて自信が持てるのに。
他にも
「どうして自分はあの人のようになれないのか」
「いつも結果を出すあの人がうらやましい──。
こんなふうに人と比べては、
落ち込んだり、妬んだり、ネガティブな自分に嫌気がさす経験したことないでしょうか。
つい比較して落ち込みやすい方へ、
1)アクバルとビルバル
2)比較しない視点「無分別」
3)他人と比較するから本当の自分がわかる深い意味
をお届けします。
アクバルとビルバル
ここから一部 禅の視点-life-さんから引用させていただきます。
-------------------ここから引用-----------------
インドの昔話に比較しない視点、
禅語では無分別を教えるアクバルとビルバルというお話があります。
16世紀のインド、ムガル帝国にはアクバル皇帝がいました。
ある日、この皇帝が自分の宮殿の床に1本の真っ直ぐな線を引き、臣下たちに次のような問題を投げかけました。
「誰か、この線を短くすることのできる者はいるか。ただし、線の一部を少しも消さずにだ」
臣下らは一人ずつ線のそばにやってきましたが、誰もこの難題に答えることができない。
困り果てていると、ビルバルという人物の番がやってきました。
彼は線のそばにやってくると、その線の横にもう1本、皇帝が描いた線よりも長い線を画いた。
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臣下らはそれを見て驚きの声をあげた。
「なんと、確かに皇帝の線が短くなった!」
ビルバルはアクバルの引いた線に触れることなく、見事に最初の線を短くしてみせたのでした。
禅には無分別という言葉があります。
(詳しく禅の視点-Life-さん)
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1本の線であれば、その線に長い短いいうことはできません。なのでビルバルは比較によってしか、
短いという概念を生み出すことはできないと考えたのですね。そして線の隣に長い線を描くことで最初の線を短くしてみせました。
「短いとは比較、相対的な概念にすぎない」ということを伝えたのです。
この比較を誤って使うと他人と自分を比べて落ち込む比較癖のループに入ってしまいます。
とくに、自分の価値を外側のものさしで決める傾向にある方は要注意です。
一般的に人は他人と比べることによって自分の行動を決めたがる傾向がありみんながどうしているのか正解を求めて自分の立ち位置を決めたがる傾向にあります。
特にSNSでは
✓ 完璧な容姿を持つ人、
✓ 影響力のある人、
✓ 高収入、
✓ 最新のブランド品、
✓ 幸せそう、
✓ 人気がありそう、
✓ 子どもが偏差値の高い学校に行ってる
・・・
・・・
そうやって他人と比較する時間が長いほどメンタルが落ちやすくなります。
例えば年収1000万円。
年収400万円の人から見ると高い年収になりますが、年収3000万円の人から見ると低い年収になります。
このように他人と比較する生き方は、常に自分と他人との数値的な「差」しかみていないことになります。
そのもの自体の存在価値や意味を見出さなくなります。
『自分の人生を生きているのは自分であるはずなのに、
他の判断基準によって自分の価値が変動する生き方というのは、ずいぶんと虚しい生き方でこのような生き方は意味がない』と禅は教えています。
そこで『無分別』という禅語です。
比較によって浮かびあがる自分ではなく、誰とも比較することのないままの自分自身をしっかりと自分で見つめよ。
無分別とは、1本の線を1本の線のままで見る智慧。
禅ではどんなものも、どんな人も、他とは比べようがない「絶対」の存在とします。あなたもそうですし、他人もそうです。
横に線を足される前の、まだ1本だったころの線の自分。
その自分の価値を自分で決めることが比較しない視点が重要ですよと禅は教えています。
そして、ここからが本題です。
比較することの意味
本当の自分を生きるには本当の自分、才能、ミッションを知りたければあえて、「比較を利用せよ」と私は言いたい。
私たちは、何のために二元性の世界に生きているのか。
人は誰もが、1本の線。
他と比べることなどできない、1本だけの線。
だからこそ、比較を利用する。
大小、多少、高低、優劣、長短、軽重、光と影……。
世の中はあらゆるものが相対的な観念によってその存在がわかるようになっています。
もし、相対的な観念がなければ太陽の光にろうそくをともすようなもので、私は光だと知っていても光がどんなものかわからない。
簡単に言えば、背が低いということを知らなければ背が高いとうことはわからない。
痩せているということを知らなければ、太っているというこがわからない。
貧しさを知らなければ豊かさとは何かわからない
突き詰めて言えば、自分が何であるかを知るためには、自分ではないものを知り、体験しなければならない。
要は比較の仕方で人生が変わるのです。
そもそも、自分は完璧な存在であり、劣等感、無力感、無価値観は必要だというところからスタートさせる。
例えば、私の1本の線の方が「短い」。長い方がいいな。と感じたとしましょう。
そこに「短いのはよくない。」というとらえ方をしている自分に気づくということがとても重要。世の中にはいいも悪いもない。
悪いと捉えたらそういう人生を創るだけで、
必要じゃない!ととらえると豊かさが待っているからです。
この物事のとらえかた。
これが人生を創っています。
例えば私の場合ですが、他人と比べて「太っている自分はダメ」と信じていました。ダメな自分だからダメな現実を創っていました。
いいも悪いもない。
太っていることは必要だった・・・何のために?
そして他人との比較から本音に気づくことができました。
・痩せて健康になりたい
・動ける体になりたい
・人間関係をよくしたい
これを一気に解決する方法はないかなと考えたのです。
『太っている自分、体力がなくイライラする、みにくいと思う自分が私には必要だった』なぜなら、新しいダイエット方法を開発して世の中に伝える必要があったから。
そして世の中に満たすほどに痩せるメソッドを提供し、食でも運動でもないところからたくさんの人に痩せていただくことに成功しました。
人生のカケみたいなところは自分が世界に対して輝ける部分なのです。
他には、「貧しい」からダメというとらえ方をするのか、
必要だったでしょうととらえるのか。
そもそも未来の私は豊かで幸せだった。
そのために貧しさを知る必要があった。
そして貯金ゼロから資産を創るまでの方法を世の中に提供して豊かさを教える必要があったから。
本当の自分がいて、人生とはそこに戻る創造のプロセスととらえるのかで
まったく現実が違ってきます。
比較対象があるから自分がわかる。否定があるから肯定がある。
受け身(無力な)自分を体験することによって、創造者としての自分を体験することができる。
突き詰めて言えば、自分が何であるかを知るためには、
自分ではないものを経験する必要があり、
自分を定義するのは、自分でないものによって可能となります。
人は誰もが、1本の線。
他と比べることなどできない、1本だけの線。
だからこそ、自分の価値は自分できめ、自分らしさを十分に実現すること、
真の自分にふさわしい存在になること、体験することがとても意味があると思うのです。あらゆる現実は自分が創り出せる。
最高ですよね!
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