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7才のくやし泣き1時間から思うこた

小2の息子ががんばっているボルダリングの、大きめのコンペの予選会がありました。
一年に一度、各地で年齢別、ランク別に予選会が行われ、相対的に参加人数に対して一定数の本戦出場者(来年)が決まるもの。

クライミングジムで行われるコンペにはちょこちょこ参加して試合なれはしてきたこの頃。
本人としては、やっぱり予選通過して本戦に行きたい。

会場で応援する親は、我が子のがんばる姿を応援しながら、動画をとりながら、スマホで確認できるリアルタイムリザルトを見る。
子供に声をかける。
まわりのようすをみる。
そんな緊張の60分。

終盤頃には本戦に出れるボーダーライン上にいた息子ですが、最後の3分ほどで他の選手の躍進がめざましく逆転され、最終的にボーダーから落ちてしまった息子。
60分、精一杯登り切ったと思う。
でもあと一歩で届かなかった。 

実力も当然あるけど、最後の3分とかに関して言えば、「より勝ちたい気持ちが強い」→「極限以上に力を出し切って結果を重ねた」ことが結果に現れてたんじゃないかな。
もちろん息子も勝ちたかったはずだけど、客観的にみて、今の彼には足りないマインドがあったと思う。

ジム独自のコンペなどでは決勝に進めるとき、進めないときがあるけど、進めなくとも割とけろっと気持ちを切り替えていたのですが、今回ばかりは本人なりに節目となる大会と認識していたのか、くやしさが半端なかった。

泣いた。
泣いた。
1時間たっても、泣き止まなかった。

泣きたい時は泣けばいい。
そういうときもある。
くやしさは強さの種になる。
そう思って、もらい泣きしながら、息子の肩をだいた。

たまたま来ていた夫(離婚予定)は、
「泣いてる時間があったら練習したり他の人の登りをみたらよい」
と、泣いてる息子をだまってみていた。
そういう考えもあるんだね。
確かに正論だし、その方が世間一般では合理的なのかもしれない。

なんだか更にかなしくなったけど、
私は泣かせた。
理屈ぬきにして、どうにもならない気持ちはあるし、泣ける時は泣いたらいいと思う。

泣き疲れて帰宅後に寝てしまった息子ですが、気持ちを持ち直したのはやはりクライミング。
なじみのお兄さんたちがいくというので、昼寝後にジムへ向かう。
登る、おしゃべしする、登る、笑う、登る。
そうこうしているうちに、笑顔が増える。
すっかり気持ちも落ち着いたみたい。

壁がある。
だから登る。
登ることが楽しい。
会いたい人がいる。
そこが彼の原動力なのかな。

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