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母の日

近所のギャラリーへ、子供用のマスクを作り、寄付するために自転車に乗って届ける。

ひと月ほど前の真夜中に、ギャラリーのお子さんが通う保育園で子供用のマスクが足りていないこと、材料はゴム以外はあるのでよかったら縫ってもらえないか、と相談があった。コロナで仕事も休みにならず、保育園に子供を預けざるを得ない家庭が多いのに、保育園ではマスクが足りていない、子供たちが心配な状況だ、とのことをきく。

そうして生地を受け取り、同じく生地を取りに来た近隣の方と、隣の古着屋のお姉さんと子供用のマスクを解体して型紙を取った。隣の古着屋の方がミシンでさささと縫ってくれて、道路を走っている保育園くらいの子供をつかまえて、試着してもらったりした。

それから意気込んで少しずつ作り溜めたりしていたのだけど、衣装の仕事が入って忙しくなったり、コロナの事でさまざまな決断を迫られたり、なんだかすっかり疲弊してしまっていた。

落ち着いてやっとマスクを作り、ようやく届ける。ちょうどその日は母の日だった。

ギャラリーの軒先には奥さんがお菓子を売っていた。小路にびゅうびゅうと風が吹き抜けている風の強い日だった。

マスクは数が集まって保育園には届けたそう。まだ足りていない人には直接渡したり、店先で配っているとのこと。

母の日でもあるし、自分の生地で作ったマスクをそのギャラリーの家族の分もリボンをかけて渡した。そうしたらお礼に物々交換で、とクッキーとケーキをくれた。
奥さんのお菓子はしっかりとした味でとても美味しい。いつもギャラリーの展示に合わせて、お菓子を作ってくれている。

ギャラリーの軒先にお菓子を並べていて、よく見るとコーヒーやパンもある。

「お子さんたちは元気にしていますか?」ときくと「家で今日は旦那さんと過ごしています」と言う。

「わたしがお菓子を売っていて昼間外に出ているから、母不足になってるみたい。コロナのこともあって、保育園は5月末まで休園で、いつもより多くのお菓子を焼いている。しかもコロナの影響か粉が手に入らない。旦那さんと苛々したり、ぶつかることも多いんです。そういうところ子供はずっと見ているから、、子供はどう思っているんだろう。」と話す。

公園は小学生があふれていて、その中で小さい子は怖がって遊べない。ちょっと遅いけど、お店が終わったら公園に行って、夜暗くなると小学生たちはいなくなってるから、そこで遊ばせている、と言う。生活リズムが変わってしまった、と話す。

「今日は母の日だけど、わたしもお母さんになって3年目だから、まだよくわからないうちにこんなことになって、正しいことをできているのか分からない。子供はすごく繊細だから、、、」
と話していた。
「しかもこのどこのお店も大変な状況で、コロナが終わっていつも行っている小さなお店がもしかしたら無いかもしれない。そう思うと……」
とそこまで言って泣き出してしまった。

子供のこと、家族のこと、仕事のこと、お店のこと、いま精一杯の状況なのだと思った。

わたしにもパワーがなくて、うまく励ませずに、ただただ話を聞きながら、胸が苦しくなってしまった。

わたしの住んでいる街は、小さなお店が多くて、夜は遅くまで賑やかなのに、最近は本当に静かになっている。

この痛みや苦しみを抱えた状態はいつまで続くのか。先が見えなくて、途方に暮れそうになる。人との接触がないので、このことをあまり共有できないことも苦しみのひとつだと思う。
さまざまな判断が迫られて、極端に言うと、経済を取るか命を取るかの場面が何度もあったように思う。

ラジオでは、経済か命かを選ぶのではなくて、「経済(健康)」という状態を選ばないと、この先、コロナではなく経済的に苦しくなり倒れる人が続出するだろう、と言っていて、危機感を覚える。いま自分も含めて、どうにか飛ばされないように、しがみついているような状況。

びゅうびゅうと風が吹いて、涙をすぐ乾かしてしまい、奥さんは最後に「協力しながらなんとか頑張ろうね」と言ってくれた。
母は偉大でたくましいと感じた。
世の中にこうして苦しんだり悩みながらも暮らしているお母さんがどれだけいるだろう、と思った。


(20200510)

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