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お元気ですか

テレビばかり見ていると、不安が募ってくる。少し前に、ニューヨークのことをニュースでやっていた。遺体を置く場所がなくて、冷凍のコンテナがブルックリンに設置された、と。
人が一人も歩いていない街が映し出された。
タクシーも走っていない。誰もいない街。
ニューヨークで出会った人たち、いまどうしているだろう。もしあのコンテナの中に知り合いが入っていたら、と想像して血の気が引いた。

人っ子ひとりいない街を一瞬垣間見て、なぜか懐かしくなり、またニューヨークに行ってみたいと思った。

ニューヨークに住む友人が心配になり、連絡をしてみる。お元気ですか。
携帯の世界時計を調べると、現地は夜中の2時だったけれど、だんだんそわそわしてきて、真夜中だけど送信してみる。彼なら起きている気もした。

当時大学生だったわたしは、殆ど海外へ出たことがなかった。大勢で一度韓国へ行って、それ以来。
ニューヨークへ当時武蔵美へ行っていた友達が交換留学で半年だか1年ほど行っていて、その子に会いにいけたらな、とぼんやり思い、同じ学校の友人へ何となしに話すと、
行動力のある彼女は、行こうよ!と言って、航空券を取り、宿を取り、全部やってくれ、あれよあれよ、といううちに行くことになった。
今思うと彼女がいないと実現しなかったかもしれない。その子に引っ張られるようにして、わたしも付いて行ったような感じ。

たしか羽田空港から行き、当時その友人と付き合いたての彼が空港までわざわざ来てくれた。付き合いはじめてすぐなのに、彼に少し申し訳ないなと思った。(のちに2人は結婚したのだけど。)

彼女はぎりぎりまで支度をして、殆ど寝ずに来たと言っていて、彼がいる時まで元気にしていたけど、飛行機に乗り、席に着いた瞬間に眠ってしまった。
飛行機に夜乗るのも初めてで、東京の夜景がとても綺麗で感動していたわたしは「綺麗だねえ」と浮かれ気分で彼女に話しかけたけど、返事は返って来なかった。

ニューヨークはとても賑やかな街だった。
体格の大きい人が沢山いて単純に驚いた。サイズ感が違う。色んな人種が世界にはいるのだなと単純なことを実感した。
ニューヨークはエネルギーの大きい街、とアメリカに住む知り合いから教わっていたけど、まさにそのような場所だった。
遅れてきたもうひとりの友人と合流して、3人で街を歩いた。
わたし以外はニューヨークに前の年も訪れていたらしく、地下鉄も街歩きも慣れたものだった。

わたしは近代美術館に行きたくて、2人は買い物に行きたいと言い、別行動になったりもした。ひとりで地下鉄に乗れるのかがどきどきしたけど、慣れれば簡単なものだった。iPhoneにニューヨークの地下鉄マップが入っていて、日本の路線検索みたいに、駅名を入れると乗り継ぎがでてくる。

地下鉄の車内で、ラジカセを持った男の子がマイケルジャクソンをかけながら踊っていて、とても上手くて感動した。わたしもチップを渡す。車内で踊っている人たちが沢山いた。マイケルが亡くなった年だったからか、マイケルになりきっている人が多かった。友達は踊っている子たちを見て、あんなに小さくてもこうやって稼ぎ口があって良いな、と言った。駅のホームでチェロを演奏する人もいた。

ひとりで悠々とMoMAの館内をじっくりと見れた。窓がたくさんあって、光に溢れて明るく、とても素晴らしい場所だった。
受付でアジア系の人がいて、日本人ですか?と日本語で言われ、日本語の音声ガイドを貸してくれた。
フリーダ・カーロの旦那さんのディエゴ・リベラの個展を丁度やっていて、壁画のような大きな作品を沢山観た。戦争を描いたものもあった。暗い雰囲気で、悲しみが大きいものもあったけど、素晴らしくて、フリーダ・カーロはこんな人と過ごしていたのかと思った。
その分厚い画集を買うべきかすごく迷って、重さがネックとなり買わなかった。
モネの大きな作品やゴッホの作品もあり、教科書で見てたようなものをたくさん見れ、感動して、写真を撮りまくった。

友達たちはバーニーズへ行ったり、街を歩いて買い物をしている間、わたしはいくつか美術館を回った。

10日間くらい行っていたのに、殆ど何も予定を決めていなかった。わたしも友人もあまり予定を決めない方。友人のほうが行きたい場所が沢山あったので、もしかしたらプランがあったのかもしれないけど、わたしは彼女に付いていく。
毎日朝起きてから、何食べよう?!って彼女は楽しそうに言って、相談してから地下鉄に乗って、ご飯を食べるためにわざわざ少し遠くのお店へ向かった。わたしはグルメじゃないので、彼女が教えてくれなかったらよく知らないような美味しいものをとにかく食べた。エッグベネディクトとか、ドーナツ屋さんとか、ステーキ屋さんも連れて行ってくれて、とにかくよく食べた。よく食べる友人との食事って本当に楽しいしおいしい。

メトロポリタン美術館、ホイットニー美術館、グッゲンハイム美術館、ニューミュージアムは皆んなで行った。
グッゲンハイム美術館はたまたま行ったときが自由料金制の時間で、普通に支払ってもいいし、100ドルとか適当な料金で入れた。日本にもこの仕組みがあったらいいのに、とすごく思った。建物が素晴らしくて、ぐるぐる螺旋を描くようにまわりながら、いろんな作品を見た。混んでいたけど自由料金で入れたことも好印象で、とても記憶に残っている。

たしかブルックリンのほうでキース・へリングの個展もやっていて見に行った。キース・ヘリングが聞いていた音楽がかかっている部屋があり、プレイリストにして知りたかったほどかっこよかった。日本で見るキース・ヘリングの印象と違って、線や作品そのものが生き生きとした勢いがすごくて、格好良かった。画集を買いたかったけど売っていなかった。

チェルシーの街も印象的だった。
ミートパッキングエリアというのが当時盛り上がっていて、かっこいいギャラリーがたくさんあった。友達の案内でリキテンシュタインの風景画の作品の個展をちょうどやっているのをみにいった。あんなに大きな作品をみることはなかなかないから、今思うと幸運だった。
コムデギャルソンのお店も覗いた。トンネルのような入り口で、金色の店内にコレクションのアートピースが並んでいて、普通に販売されていた。店員さんが黒髪の前髪に長く三つ編みをしていて、とても可愛らしかった。

ミートパッキングエリアのビアガーデンでギネスを頼んだら、サーバーで注いでくれたものだったからか、本当に美味しかった。そこからギネスが大好きになった。3月の終わりのとてもいい天気の日。そのときもたしかわたししか飲んでいなかったけど。日差しが強くてたしか皆んなサングラスをかけていた。

ニューヨークにいる間に、友人の知り合いの知り合いと出会い、ずっと一緒に過ごしていた。毎晩その彼の仕事終わりに合流して、夜ご飯を一緒に食べた。皆んな英語がそこまでわからないので、注文からなにから全部やってもらっていた。友達の欲しいバッグの入荷日を聞いてくれたりもした。
オイスターバーで乾杯するときに「ウェルカムトゥニューヨーク!」と言ってくれて、映画みたいだなぁと思った。イタリア料理屋さんにも連れて行ってくれ、とても美味しかった。ケーキをトレイで運んできてくれたウェイトレスに質問しながら頼んでくれた。

一緒にメリーポピンズのミュージカルも観に行った。
ニューヨークにいるのに、アメリカっぽさの全く無い人で、日本語は関西弁だった。メリーポピンズをみてるとき、「善人ばかりがでてくるので途中でやっと悪人が出て来てほっとした」と言っていて、彼のそういう部分に好感を持っていた。ジム・ジャームッシュが好きだと言って、街のライブハウスで演奏していたというのを教えてくれ、音楽をきかせてくれた。ジム・ジャームッシュはニューヨークに住んでいて、ライブハウスによくいるらしい。
エンパイアステートビルにも一緒に行ってくれた。あんまりに連れ回して悪いような気がして、そう聞いたら、観光気分になれるから楽しいよ、と言ってくれた。

10代からニューヨークにいて、311が起きた時にも、ニューヨークにいたという。家族は心配したけれど日本には帰らなかった。建築の仕事をしている。一度画家の人と一緒に住んでいた家にも遊びに行った。東京はこわいと言っていた。

散々連れ回して、わたしたちが帰る前日にも一緒に韓国料理を食べに行ってくれた。
たしかチゲ鍋を食べた。あの窓際の席をなぜか覚えている。ソーホーのチャイナタウンのようなところで、窓から色んな色の看板のネオンサインが見えた。

飛行機に乗る当日も一緒にたしかデパートのフラワーパークへ付いてきてくれた。そこがすごく混んでいた。ぎりぎりまで予定を詰め込んだわたしたち。。
いよいよ飛行機に間に合うのか?という時間になってきて、その街から空港までタクシーに飛び乗る。そのときに彼が英語で何か言ってくれて、運転手にチップを渡してくれた。この女の子たちを頼む!みたいなことを言ってくれたと思う。最後まで心の優しい人だった。タクシーの窓から覗いたその友人の表情をずっとおぼえている。

それから一度、わたしの陶芸家の友達がニューヨークで展示をするというので、その友人を紹介して2人は会ったそう。彼はこころよく案内してくれた。わたしが諦めたディエゴ・リベラの画集をその陶芸家の友人が買ってくれ、帰ってきてから送ってくれた。重かったろうに。宝物になった。

東京へ一度だけ彼が来てくれたときは、皆んなで集まった。
東京に来たら、彼がしてくれたように色んな場所を案内したいと思っていたけど、なかなかかなわなかった。

自分にとって大切な人というのは本当に僅かなのかもしれない、と最近思う。もともと友達は多くないのだけど。場所も時間も、会っていない時間も、関係ないような感じがする。コロナのことがあって、それが顕在化したように思う。大事な人、長らく会ってないけど気にかかる人、どうしてるかなと思う人。

心配になってから送ったメッセージの返事は数日して返ってきた。
元気そうでなにより、本当に安心した。
メッセージ見てなさそうだと思ったけど、気がついてくれて良かった。
2ヶ月くらいロックダウン状態で家から出てない、ずっと仕事してるとのこと。経済が大変なことになっている、と。
みんなによろしく言ってね、
メリーポピンズ!と書いてあった。

そういえばあのメリーポピンズの傘を皆んなでお揃いで買った。鳥の持ち手が付いていて、空を飛べる青い傘。


(20200506)

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