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身の回りの物、新しい発見

「ガラクタを捨てれば自分が見える」という本を読んだ。
数年前に友達にすすめられて読んだ、服部みれいさんの「あたらしい自分になる本」にちらりと書かれていた。この本は弱っているときに読んだこともあり、とっても意識が変わって、わたしの中に革命をもたらしたような大事な本。
たまに家でぱらぱらとめくっているのだが、その日はガラクタの本を紹介するページが目に入ってきた。
アマゾンで検索して中古で買う。時を経ても、本の内容には変わりがないのだから、本はだいたい中古で買う。だれかの必要でなくなった知識や物語をいまわたしが必要としている。

お風呂の中で読み終えて、さっそくどこかを片付けたくなる。今日は流しの下。
毎日どこかブロックを決めて取り掛かる。昨日はレコード棚、おとといは押入れ、その前は玄関。。すこしずつすっきりしてきた。

夜中にやるのでなんとなく寝不足になる。でもいつやってもいいって本には書かれていた。思い立ったときの意気込みが大事だと思う。

春からアトリエを構えて、大半の荷物はアトリエへ行って、部屋がほとんどがらんどうになった。ものが突然少なくなって変な気持ちだったけれど、人を呼べるようになった。友達はやっと人らしい生活になってよかったね、と言った。わたしもそう思う。

ものへの執着について、考えさせられる本の内容だった。
死ぬときもガラクタを持っていくつもりですか?なにも持っていけません、身ひとつですよ、とあった。身につまされる思いがする。
ただのものに、これは家族から貰ったものだとか、引き継いできたもの、あのときの、とか、勝手に思いを投影している。
押入れの深くに閉じ込められているそれらは、頭の中でも忘れているのだから、そういったものはただの執着でしかないのだと。じぶんにとって役目を終えているものだという。
これはあなたにとってどんなものですか?何の役に立っていますか?
とにかく、ガラクタを手放すといいことがある、といったことが羅列されている。

頭の中が散らばって、とりとめなく悩んだり迷ったりしているときは、たいてい部屋もとっても散らかっている。
先週面談をして、頭の中が散らかりすぎていて、頭痛がした。
机の上に空きスペースをつくる、
床におちているものを拾う、
書類の整理をする、
いまやるべきことを可視化してみたりして。だんだんと整理されてきたところ。

部屋を片付ける習慣が身につくと、意識も変わってきてすっきりとする。
片付けるということは、気を配ることなのかな。埃を払って取捨選択する。身の回りのものは自分を投影しているのかな。

belongings というタイトルを付けたテキスタイルを描いたことがあったけれど、あれはわたしの身の回りの物を描いた。
自転車の鍵、古道具屋で買ったブローチ、父からもらったはっぴいえんどのレコード、絵の具や筆、母からもらった真珠のネックレス、東北の風景のポストカード、、、など。他人から見たら大したものじゃないけれど、自分にとってはかけがえのないものたち。思いを投影しているから、特別なのだ。

洋服を畳む、という動作にも物を慈しむような特別感があると気づく。
広げて畳んで皺をのばしたり、触って撫でるようにして、この服気に入ってるんだよね。と思う。服にもそうやって心の中で伝える。そうした服をまた着ると、気持ちが良いものだ。

体と心と身の回りの物は繋がっている、とは本を読んでから実践したことで得た新しい発見だった。


(20190910)

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