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うたのよろこび

お昼に友人と待ち合わせ。数ヶ月ぶりに映画を観る。

映画館へは西荻窪から歩いて向かった。友人が観たいと言っていたので、わたしも便乗してついていく。西荻窪でランチを食べて、途中の道でクレープを買った。お店の軒先から甘い匂いがして、注文をしてから待っている間に、思わず「いい匂い」と言うと、お店の人も「いい匂いっすよね」と返してくれた。クレープを焼いている人は手と鉄板がとても近い位置で、じっくりと生地を焼く。火傷しないのかと心配したけど、右手の内側に真っ直ぐな茶色の火傷の線が何本か見えた。

梅雨を間近に控えていて、湿気が多く晴れているのに空気が重かったけど、クレープを食べながら歩いていたらうきうきとした。
こんなに普通の事が、なんとも久しぶりで嬉しかった。

小さな映画館は、ひと席ずつ空いた座席に座るようになっている。ひと席ずつ飛ばして座って満員、だいたい本来の定員の半分の席が埋まっていた。マスクは映画が始まっても外さない。予告が始まってから、目の前に女の人が座り、急にコロナのことを思い出して不安になる。入り口にも、トイレにも消毒液が置いてあり、ずっと換気されている空調の音がしていて、色々対策しているから大丈夫だと、自分にいいきかせる。

「うたのはじまり」という映画で河合宏樹監督の作品を観る。
生まれつき耳の聞こえない写真家であり、ろう者のボクサーでもある齋藤陽道さんのドキュメンタリー。
序盤からいきなり出産シーンがあり、驚いてくらくらしてしまったが、なんだか言葉にならないものが込み上げてきて泣いてしまった。
お子さんの誕生をきっかけに、今まで分からなかった、嫌いだった歌に興味を持っていく陽道さん。
ダンサーの撮影をしたときに、うたが見えた、と言っていたり、
波の満ち引きのリズムを数えたり、うたや音楽のことを探しているシーンがあり、その眼差しが真っ直ぐで胸を打たれた。いろんな場面に、音は聞こえなくても、自然の中にも、体の中にも、刻まれたうたが存在しているのだと気付かされる。
出産のシーンからほろほろ涙が止まらなくて、ずっと泣きながら観ていた。久しぶりの映画館での映画にちょっと刺激が強すぎたのもある。

陽道さんが写真の作品をスライドショーで見せているときに、死んだ動物や死体に一瞬ほんのちょっとだけ青い光を見る、それをみてちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけど怖くないと思う、と言っていたシーンも印象的だった。

全部に字幕がついて、音楽や歌が流れるところには絵字幕というのがついていた。バリアフリーで、うたが見えない人にも見えるように工夫されている。

お子さんを寝かしつけるときに、抱っこしてゆさゆさと揺らし、陽道さんがうたを歌うとあっという間にお子さんは寝た。お子さんは耳が聞こえるのだそう。夜が来て、月が登って樹は眠る、という歌詞だった。樹(いつき)というのはお子さんの名前。七尾旅人さんが「いい歌だね、いまうたのはじまりに立ち会っているようだよ」というようなことを言っていた。

お風呂でお茶をお子さんに飲ませようとすると、「大丈夫」とお子さんは言って、その声を陽道さんは聞こえないので、監督が「いま大丈夫って言ってたよ」と教える。それからお風呂で大丈夫のうたが生まれていた。その場面も感動的であった。

映画を観ていて、
随分昔から、わたしも記憶のない子供や赤ちゃんの頃から、もしかしたらうたを知っていたような気がする、と思い出した。
台所でうたう母の背に、お風呂で遊ぶ場面に、眠りにつく前に、わたしもうたをきいていたような気がする。空気の振動である音とも違う、ことばになる前の、歌詞がつく前の、うたを知っている。この映画はそのことを思い起こさせるものだった。うたはどこにでもある。ほんとうの意味で、うたはどこからも生まれ得るのかもしれないなと思った。

映画を観終わって、友達にそのことを話すと、「親や大人にうたって、少しごまかされながら、嫌いな食べ物を食べさせられたりしていた気がする」と言っていて笑った。

小学生の頃のたしか理科の授業のとき
「音って何だと思う?」としんとした教室に先生が言って、生徒は全員沈黙していたのを覚えている。
なんだろう…と考えているうち先生は
「空気の振動のことだよ」
というのを聞き、衝撃的だったことを覚えている。

音は空気の振動だけれども、うたはちょっと違う。色やかたちが見えそうなときもあるし、もっと身近にあって、やわらかく、あたたかいものなのかもしれない。この映画にその根源的なよろこびを思い起こさせて貰った。

映画を観た後、しばらくボンヤリしながら、物販の場所に立ち寄りパンフレットを買った。友達も買っていた。

久しぶりに再開された映画館には、懐かしい作品も上映されていた。黒沢清監督の「アカルイミライ」が上映されているようで、また観に来ようかなと思う。DVDを実は持っている。好きな作品。黒沢清監督の作品は面白い。
ジム・ジャームッシュの「パターソン」もやっている。細野晴臣さんを撮った「NO SMORKING」は父が観て面白かったよときいているがまだ観れていない。ホドロフスキーの「サイコマジック」はこれから上映されるそう。ホドロフスキーは「エンドレス・ポエトリー」しか観たことがないけれど気になる。

最近新しい映画作品を観ていなかったことに気がつく。なんだか気持ちが内向的になり、新しいものを取り入れる気にならなかった。週に何本かDVDや配信で映画を観ていたときもあったのに、皆んなが家で自粛しながら映画を観ている時に限ってわたしは観ない。自分は天邪鬼な行動をとっている。

本屋に友達が注文した本を取りに行くのに付き合う。早川義夫さんの「たましいの場所」をラジオで宮藤官九郎さんが紹介していて、気になって注文したのだそう。
わたしも大好きな本。また読み返そうかな。早川さんの言葉を読んでいると、正直な気持ちになって、心が透明になっていくような感覚になる。
久しぶりの本屋に行けることもとても嬉しくて、文庫コーナーや、芸術コーナーをじっくりと見る。ディック・ブルーナの作品集を買うことにした。数年前からミッフィが好きになった。ブルーナのドローイングやデッサンも載っていて素敵だった。シルクスクリーンのベタ面で構成されたポスターだったり、グラフィカルな画面は、テキスタイルのデザインにもちょっと似ているところがある。生い立ちも書いてあり興味がある。お金に余裕がないので迷ったけど、今の自分がピンときたこと、出会って惹かれていることのこの感覚は大事にした方がいいような気がした。外の世界には誘惑が満ちている。

井の頭公園に立ち寄り、散歩して、ミスドとTSUTAYAにも立ち寄る。友達が寄りたいと言っていたのでまたわたしも付いていく。きょうは自分の用はほとんどなくて、友達に付き添っているだけになっているけど楽しい。

全て用事が済んで駅に着き、きょうはありがとうございます、とお互いになんとなく挨拶をして改札を通ろうとしたときに、友達ががさごそと鞄の中を探していて、ドーナツの箱を持って待っていると、なかなか携帯が出てこず、TSUTAYAに忘れたと気づく。わたしだけ帰ろうかと思ったけど、もしもなかった場合のことが心配になり、また一緒についていく。井の頭公園のベンチに忘れたかと思って焦ったけどTSUTAYAで良かった。

すごく昔に井の頭公園のベンチに携帯を忘れてしまったことがあって、友達といせやで飲んでいて気がついた。暗かったので、付いてきてよーと半分酔っ払って友達に言ったけど、えー嫌だよーと言って付いてきてくれなかった。真っ暗な公園に携帯はつめたくなってぽつんとあったから良かったけど。

TSUTAYAに着き、レジのところに携帯がなかったときは一瞬もしや、と思ったけど、店員さんが保管してくれていた。友達は「裏に猫のシールが貼ってあります」と言って自分のものだと証言した。店員さんがiPhoneを裏返し、猫のシールを確認して友達に渡してくれた。


(20200604)

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