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わたしとあの子は仲が良い

よく行く中華屋がある。
駅前にある赤い看板の店で、階段を上るとビニール製の頼りないロール式の扉が付いている、中国人のお兄さんがやっている店だ。

ずっと気になってはいたものの、どこか怪しさが漂い、開店してから店に入るまで一年以上は経過していたと思う。赤い看板は中国の漢字でメニューが書いてあり、とにかく派手で胡散臭さもあった。

足を運ぶきっかけになったのは友人の「あのお店なかなかいいよ」の一言だった。料理を生業にしている友人の一言だから説得力があった。

初めて行ったのは友人ふたりとだった。
どこかに行ったあとの帰り道で、季節はまだ寒い時期だったと思う。
店内には一組の客がテーブルに座っていて、私たちはカウンターに並んで座った。手書きの文字で張り紙のおすすめのメニューと、赤いラミネートされたメニューに中国語で品名と値段の数字が書いてあり、裏側には日本語が載っていた。
中国人らしき男性が料理を作り、その奥さんかと思しき女性が飲み物を用意したりする。
そのときはルーロー飯や餃子、エビチリなどを頼んで、ビールを飲んだ。
友人が奥さんに
「ビールください」
と言うと奥さんは、はてな?という表情をした。
「この人日本語ほとんどわからない」
と男性はなぜかにこにこしながら言った。
ビールくらいは覚えておいた方がいいのにねえ、という風に皆んなが思う瞬間だった。わたしたちも笑い、なんだか和やかな雰囲気が流れた。いいお店だった。料理はぴりっとした辛さや刺激があって、本格的な中華だった。とても美味しかった。その上値段が安くて、それもよかったから、また来ようとそのとき決意した。

そうして月に数回ほどの決して多くはないペースでだけど、そのお店に通うことになった。

あるとき張り紙のあったマーラータンを頼んでみると、想像以上に辛かった。店内にはわたししか客がいなかった。顔から火が出る辛さとはこのことで、涙が出そうになり、
「水もらえますか?」とお兄さんに言うと、
「辛かった?」と聞かれる。
「結構辛い」
「黒酢いれるか?もっと水飲むか?」
と言って助けてくれようとする。
「最初に辛くしたから、もう辛くない、できない!」
それでもわたしがひーひー言っているのをみて
「今度来たときはこれ以上辛くしない!」
と彼は高らかに言った。
涙が出そうになりながら、その宣言がおかしくて笑ったのであった。
追加で春雨サラダを頼んだが、これがすごく美味しかった。太い春雨に、ニンニクの効いたきゅうりが和えてあり、ひんやりとしたつめたさも辛さを中和させた。シンプルだがやみつきになりそうな味だった。とても美味しかった。

撮影の帰り道に立ち寄ったときは、ルーロー飯を食べたと思う。大きなスーツケースを転がして入り、
「お姉さん自分で仕事してる?」
と変な時間に変な荷物を持って行ったのでそう言われた。そう、と答えると
「他にもそう言う女の人、よく来る。分かる。」と言われる。

帰り道には重いスーツケースを何も言わずに階下まで持ってくれた。
「優しいですね。」と言うと
「優しくない、普通。」
そう言われて笑ってしまう。
気のいい中国人だった。

「一瞬の夢」というジャ・ジャンクー監督の中国映画を観たあとに立ち寄ったときは、その映画の話をした。
この中国の映画観たけど知ってる?ときいてみると、
「知らない」
と言ってすぐにスマートフォンで調べていた。これ?と見せてくれたものに動画が上がっていて、誰もいない店内で(いつも変な時間に行っていたからか、ほかの客をみたことがほとんどない)、途中まで一緒に観た。
「昔の映画で、しかも私の住んでいた場所と離れているから言葉違う、私でも何言ってるかわからない」
と言う。
そんなに違うんだ、とわたしは驚いていると、地図を調べてくれ、こんなに離れている、と見せてくれた。

他にも行くたびになぜだか話をして、中華屋の彼はにこにこといつも変わらずに笑い、片言の日本語がどこか愛らしいのであった。


そんな中華屋が閉店すると知ったのは突然のことだった。
夏頃から、催事が続き、遠征もあったりと疲れ果てて、気がついたらわたしは随分と店に顔を出していなかった。
友達のツイッターでそのことを知って驚き、しかもその日に閉店すると知り、もう間に合わなかった。
こんなことなら閉店する前に何度も通ったのに、と思いながら、足が遠のいていたことを悔やんだ。お兄さんに何かあったのだろうかと心配になった。経営が難しくなったのだろうか。美味しいのにちょっと安くしすぎたのではないか。他のお客さんをあまり見かけなかっただけに心配になる。

「空気冷たい、夏終わった。」
と彼が言ったのは夏も終わりかけの頃だったろうか。携帯を真剣に見ているので何かと思ったら
「冷麺やめる、ほかのメニュー考える。」
そう言うので、
「じゃあ今日冷麺食べればよかった。」
とわたしが言うと
「まだやるから大丈夫。」
そう言って笑っていた。

気がつけば夏もとっくに終わり、冬の近づく季節だった。冷麺も随分前に終わってしまっただろうと思う。

閉店翌日に、店の前を通りすぎると、灯りが点いているのが見えた。一度店の前まで戻って覗いてみたが、物音がしなかったので、また駅に向かった。でも、と、やはり思い直してまた引き返し、階段を上ってみる。するとあのロール式の扉がまだあった。がらんとした店内に、あの中華屋のお兄さんともう一人男性が片付けをしていた。

「お店閉店しちゃったんですか?」
とわたしが言うと、
彼は、あ、という顔をして、片付ける手を止めて、
「店、閉めた。」
と笑いながら言った。思わずぶっきらぼうな言葉に笑ってしまった。
「今まで何してた?」
と言われて、ふいに悲しい気持ちになった。随分と来れていなかったから、ごめんねと謝りたかった。
「仕事が忙しくて。」
と言うと、
「そう。」
とだけ返す。相変わらずににこにこと笑っていて、こちらが拍子抜けしそうだった。元気そうで安心した。

「これからどうするんですか?他の場所でやるの?」
「わからない。まだ何も決めてない。」
「またやるときは教えてほしい。」
と言うと、
「わかった、友達の電話番号知ってるからその友達に連絡する。」
と言って、いつも通りにこにことしている。
じゃあまた、と言って、わたしは階段をを降りた。もっと何か、言いたいことや聞きたいことがあった気がするけど、何て言ったらいいかわからなかった。

思えば、名前も年齢も住んでいる場所も知らない中華屋の彼だった。彼に自分のことを名乗りでてもいなかったと思う。さみしくなってしまうな、と思った。
ルーロー飯、マーラータン、春雨サラダ、餃子、黒酢、お通しの豆、ビール、レモンサワー、、、いろんなものを食べた。もっと色々食べたかった。
台湾に行ったこともそういえば言えず終いだった。台湾に行ったとき、日本語を話せる台湾人はどこか、彼の話し方に似ていた。

「店が終わるときなんてそんなもんだよ」
友人は言った。

後日その友人と中華屋の彼が偶然会ったらしく、友人が
「こないだ女の子がお店を覗いたでしょう?って言ったら」
その彼の口真似をして、
「”そう、私とあの子は仲が良い”って。言っていたよ。」と教えてくれた。


(20181220)

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