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数学は必要ない

幼い頃から数学が苦手だった。

数字がでてくると、頭は固まってしまう。いまでもたまにお客さんからもらったお金のお釣りを間違えるので必ず電卓で打って確認するようにしている。

学生の頃、わたしの数学を助けてくれたのはS先生だった。
小学生の高学年から、高校の1年生くらいまでお世話になった。
先生は元中学校の先生で、近所に住む友人のお母さんの担任の先生だった。
とっくに教師は辞めているのだが、お家を開放して、1時間にふたりずつ、生徒を見てくれる、わたしにとっては塾の先生であった。

先生のお家は一階がガレージのようになっていて、だいたい車が停まっていた。その車の脇、玄関ではなく引き戸のようなところから出入りするように言われていて、その足元あたりに烏骨鶏を飼われていた。
白くてふさふさした鳥を小学生の自分は初めて見た。コッコッコッといつも低い声で鳴いている。よくみると目が真っ黒で、かわいい顔をしていた。籠の中で3羽、いつもおとなしく並んでいた。

先生は、わたしが今まで出会った人のなかでいちばんさばさばとしていた。無駄話はほとんどしない。洒落っ気も全くなく、いつも冬はトレーナー、夏はTシャツを着ている。それも何年も何年も着ているような、古ぼけたものだったが、手入れがきちんとされていて、清潔感があり、先生によく似合っていた。お化粧もしていなかった。いつも髪は黒髪のショートカットで、前髪はまっすぐ、ぱつんと切り揃えられていた。きくといつも自分で切っているという。とても上手である。指が結構太くしっかりしていて健康そうな手をしていた。爪はいつも短かくて、きれいな丸い形の先生の爪をわたしはとても好きだった。

入ってすぐ手前の部屋の、掘り炬燵に先生は座っている。生徒たちは机の長辺側にそれぞれひとりずつ、先生を囲むように座る。
冬はヒーターが点いていて、夏場は扇風機が静かな音で回っていた。
静かなのでたまに隣の家の子供の声や生活の音が聞こえた。

必要なものは学校で使っている数学の教科書とノート、筆記用具だけ。
テキストなどは使わずに、学校の授業より先にS先生に教えてもらって予習するのだ。たまに練習問題のプリントを作ってくれたこともあった。教科書以外の問題集でも、わからないところがあれば質問すると教えてくれる。

S先生の説明はいつも簡潔だった。説明を聞いてわからなかった問題はない。かならず腑に落ちる方法で教えてくれた。先生だからといって偉ぶることもなく、たんたんと説明をしてくれる。子供扱いされている、といった風も全くなかった。数学のしくみをただたんたんと教え伝えてくれるS先生。
説明してもらうと分かるので、わたしの数学嫌いはS先生によってだいぶましになった。

向かい側に座っているもう一人の生徒さんはだいたいいつも知らない子だった。学年がたまに同じこともあるし、違うこともあるので、説明をしている間にもう片方の生徒は待っていたり、問題を解いたりしておく。
知らない子なので話もしない。でもおそらく、その子の親がS先生に学校で教わっていたのだろうなと思う。わたしの親はS先生には教わっていなかったので、特殊なケースだったかと思う。

無駄話をする時間もなかったので、どうしてS先生は先生になり、数学を教えるようになったのか、とかそういった生い立ちはそういえば聞いたことがなかった。

お家には旦那さんと、息子さんと、娘さんがいるらしかったが、そういうことは母から聞いた。娘さんはハンドボールをやっているらしいよ、とか。
たまに先生の娘さんと数回すれ違ったことがあった。
「こんにちは」
と言った声や表情も、先生に似ていた。ハンドボールをやっているだけあって、真っ黒に日焼けしていた。娘さんもさっぱりとしていそうで、制服のスカートも膝下の、まじめそうな人だった。

週に一度、わたしは小学生から高校生くらいまでS先生に数学を教わったが、一番世話になったのは中学の頃である。いつもわたしの成績は数学が肝だったので、テスト前は大変だった。
中学に入ってからは他の大手の塾にも通っていて、数学も組み込まれていたから、S先生のところには行かなくても良かったのだが、わたしはやっぱりS先生がよかった。
塾の先生は、大きな教室に皆んな座って、きちんとしたテキストに則って教えてくれるのだけど、皆んなと同じようについていくことだけで必死だった。塾の先生のことも苦手だった。塾でのわからなかった問題をS先生に教えてもらったりしていた。今思うとなんのために塾へ通っていたのか本末転倒だけれど。S先生には絶大なる信頼があった。先生にきいて、わからなかったことは本当に一度もなかったのだから。

そうして怒涛の高校受験を終えた。中学生の頃の自分は結構忙しかったと思う。

高校受験は志望した公立校にちょうど独自入試が導入された年だった。学校が作った独自の問題だから、どんなものが出題されるか分からず、大手の塾の方はあの手この手で問題を作成して、準備していた。難しくて分からなすぎる問題から、簡単なものまで。塾での試験結果は廊下に貼り出され、わたしは数学の点数が特に低く、学校の試験だとそんなに悪くないのに入試を受けるとちょっと厳しいかもな、と塾の先生によく言われていた。とりあえず学校の試験や勉強をがんばり、成績が良かったので、推薦の面接だけで高校へと入れることになった。なんとか入試を受けることを免れたのである。

公立がだめだったら、私立高校への進学も考えていたけれど、それも免れた。その入学金や入試代が浮いたので、親と犬を飼う約束をした。(そうして愛犬ぺこを家族へ迎えいれることになる)

高校入学が決まると、S先生は、
「おめでとう」
とひとこと言って四角い包みを差し出してくれた。
パイロットの包み紙をほどくと、プラスチックのケースに入っているのは、わたしの名前が金色の文字で彫ってある、赤いボールペンだった。本当にその贈り物は嬉しかった。今でもとってあり、大学受験のときも、お守りがわりにいつも筆箱に入れていた。

高校へ進むと、いよいよ数学がわからなくなった。
無理して偏差値の高い高校へ入ってしまったので、全くついていけなかった。
最初はどうにか、学校の先生の書く黒板をとりあえず写すことに徹していたが、途中でそれすら嫌になり、90分間の授業をぼんやりとして過ごした。
「岡本太郎は芸術は爆発だと言いましたが、僕は数学は感動だと思っています!」
東大出身らしい数学の先生は熱っぽく語っていたのをよく覚えている。何を言ってるやら、やれやれ、とか思いながら。

S先生は高校に入ってからも、数学を助けてくれた。高校の授業の進みが早いので、予習が追いつかず、復習になってしまうことも多くあった。そこで質問などもするから、どんどん遅れてしまった。
もうわたしの数学の理解への限界値が近い、と感じていた。
わたしが美術予備校へと通い始めたのもその頃で、高校での勉強についていけなくなると同時に、美術の世界へとどっぷりはまり始めた。
美術大学へ入るには、英語と国語だけ試験が必要なことがわかり、数学が必要ないということを知るとますますやる気がおきなくなった。
中学時代も塾に通いながら、運動部へも入って、、とそれなりに忙しかったが、高校時代も、画塾に通いながら、運動を続けており、なかなかに忙しかった。
2年生へ上がるとき、ついに数学とおさらばする時がやってきた。数学は必修から外れ、そのぶん美術や英語や国語を勉強する特異なコースへ(学年でもたしか7人しかいなかった)進むことになった。

S先生に美術大学への進学を決めたことを伝えると、
「もう数学は必要ないんだね?」
と先生は言った。
数学ともう関わりのないこれからの開放感と同時に、先生ともう会えなくなるのかと思うととても寂しかった。
そのさみしさについては、恥ずかしくてとても面と向かっては伝えられなかったけれど、わたしは「はい」とだけ答えた。


S先生が亡くなったと知らされたのは、それから何年かしてからだった。
わたしは浪人をしていた頃だったかと思う。突然のことだった。癌だったという。

友人の母が教えてくれたのは、なぜか亡くなってひと月ほどたってからで、お葬式にも行けず終いだった。
お家へ母と伺うと、初めて先生の旦那さんが出てきて中へあげてくれた。烏骨鶏がいつものように足元で鳴いていたが、少し小さくなったように感じた。
いつもと変わらない部屋の真ん中に祭壇が準備されていて、S先生の写真が飾ってあった。現実なのか夢なのか、よくわからなかった。

旦那さんは、病気が分かってから、お別れをするそのときまでのことを事細かに教えてくれた。母がおろおろと泣き出してしまい、わたしはしっかりしなくては、と思い、涙を堪えていた。旦那さんの声も震えて涙で目を赤くしていた。
何度もこうして数学を教わっていた生徒に話しているからか、簡潔な説明だった。旦那さんももしかしたら先生だったのかもしれない。小柄で眼鏡をかけていて優しそうな人だった。

もう治る見込みのない末期の癌だと、病院で知らされたとき、S先生は
「そうですか」
とひとこと言ったそうだ。

闘病は続いたが、
亡くなるその瞬間も、家族に囲まれながら、最期だけカッと目を見開いて、静かに閉じたという。

そのすがたが旦那さんの説明で思い浮かんだ。この家族の姿ををさいごに一度、見ておこうと、言葉はないけれど、S先生はその気持ちだったのかもしれない。

簡潔で、たんたんとした物腰のS先生そのものらしい、と思った。

今となると数学以外にも、色んな話をしてみたかった。

数学とともに、先生の面影はいつまでもわたしのなかにある。

結局、数学は必要がなくなってからも、数学は生活に役立っている。暗算をするとき、お会計をするとき、スーパーで100グラム当たりの安さを計算するとき、頭の隅で、先生の顔や文字や丸く整った爪が浮かぶ。


(20190912)

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