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AIの未来を考えるとき、古代ギリシアに想いを馳せてみる
こんにちは、さやです。
今日は今私たちが直面しているAI時代について、古代史に想いを馳せながら綴っていこうと思います。
最近何かと話題の生成AIやロボティクスなどの新しい技術。
「暮らしが便利になるね」というレベルではないような、人類史にとって大きな変化が始まっているんだろうなぁ、と感じます。
思えば。
人類がその在り方を大きく変えられるような出来事って、過去にももちろんありました。
そんな時代を回顧しながら、これからの私たちの生活はどうなるんだろう。
そんなことを、(素人ながらに)書いてきたいと思います。
古代アテネの人々
いきなりですが、私は大学時代に古代ギリシア史を専攻していました。
そんなこともあって、現代の人間の営みについて、過去の歴史から類例を探してしまうことがよくあります。
最近よく思うのは、AI時代は古代アテネ時代に似ているのではないか、ということ。
古代アテネ…といっても長い歴史があるのですが、民主主義的な政治を行っていた時代を考えます。
この時代は、奴隷制度があって、男女も今のような「平等」観はありません。アテネ市民の女性は、市民であっても参政権がなく、常に父や夫などの後見人が必要。
そんな時代でした。
直接民主政だったので、ポリス全体に関わるような重要事項は、市民(成人男性)がみんなで集まって議論し、決議するスタイル。
広場のような場所に集まり、みんなの前で議論する。
だから、古代アテネ人にとって人々を魅了して説得できるプレゼンテーションのスキルは、すごく重要な能力でした。
現にソフィストと呼ばれる、議論や弁論の方法を教える人たちが活躍したぐらい。
そして、古代アテネの市民(成人男性)がそんなに政治活動や思想にふける時間があったのは、奴隷が生産活動を担っていたからといえます。女性が家を守っていたから、という側面があったでしょう。
つまり、生きるための最低限の活動は、奴隷などが担っていた時代。
人々(成人男性)は、自分の頭と言葉を使って議論することに、時間を費やせたのだと思います。
これは、生きるために狩猟をしたり、農耕をしていたりすることで精いっぱいだった時代と大きく異なる生き方です。
人々が集まって、集団を築いて、他の集団を支配し、奴隷を獲得した。
そんな歴史の中で、人間が精神世界に大きく傾倒できるようになった重要な転換期が、このあたりにあったのだろうなぁと思うのです。
AI時代の人々
一方で現在。というより、もう少し先の未来。
私は、古代アテネのような風景がよみがえってくるのでは?と思うことがあります。
つまり、AIやロボティクスがどんどん発展し、人間の最低限の生活を支えてくれるようになる。
人間が「食うために働く」必要がなくなる。
かつての古代アテネにおける奴隷の役割を、テクノロジーが代替するようになる。
そうなると、私たち(現代においてはもちろん女性も含む)人間は、何をするのか。
古代アテネのころのように、思想に耽り、言葉で人と議論することに時間を費やす。
一風変わったアイディアで人々を魅了したり、論破したり。
そんなことに使う時間がぐっと増えるのかもしれない、と思ったります。
民会の場で誰もが声を上げられた古代アテネと同じように、現代の私たちはSNSを通じて誰でも自分の意見を発することができる。
だから、生産活動に一日の大半を費やす必要のない人間は、SNSにかじりついて声を発したり、「論破」がブームになったりしている。一部の思考や弁論上手な人が、インフルエンサーとして注目される。
なんとなく、そんなふうに考えることがあります。
奴隷≠AI
でもきっと、古代アテネの奴隷とこれからのAIは、多くの点で異なるのだろうとも思います。
奴隷はきちんとした学習の機会もなく、自分に与えられた役割を果たすことで毎日が過ぎていたはず。
でも、AIはどんどん賢くなる。やがては、主人(=今のところ人間)より賢くなる。
これは、どんな違いを生み出してくるのでしょう。
それから。感情のある奴隷と、感情のないAI。
死のある奴隷と、死のないAI。
古代アテネでは家内奴隷が主人から解放されることがありましたが、AIはどうでしょう?AIの生産活動に対して報酬を与えよう、人権を認めよう、みたいな話も聞きますが、いつかは人間の支配から完全に開放されるときがくるのでしょうか。
思考遊び
もちろん、古代アテネの成人男子も職業をもって働いていたり、軍事に従事していたりしていたようです。ずっと暇をしていたわけではないでしょう。現代の私たちだって、今のところ完全に労働から解放されたりはしていません。
奴隷とAIはもちろん全然違うものだし、直接声をあげる場だって異なります。
ただ、私は割と「歴史は繰り返す」という古代ギリシアのトゥキディデスだか他の人だかが主張している言葉になんとなく納得している部分があり。
だから、これからの未来を見ようとして、過去の歴史に想いを馳せることが多いようです。
単なる思考遊びといえばそれまでですが、私たちは体験から学ぶ生き物。体験とは、自分が直接体験したものだけでなく、他者の経験・ストーリーを通じた"疑似体験"も含まれます。
そう思うと。過去の人たちの生活から、いろいろと学ぶことが多いんじゃないかなぁ。
そんなことを、とりとめもなく考える朝でした。
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