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患者さんに怒られた!

 昔まだ僕が理学療法士になる前の実習時代の経験です。
 ある片麻痺のおじいちゃんを担当することになりました。
 その当時学校で何を習っていたかというと、「理学療法士は運動の専門家だから、正しい運動を患者さんに教え、指導しなければならない」ということでした。その頃は僕もかなり素直だったので(^^;)、学校で教えられたとおり「正しい運動である健常者の運動を指導する」という使命で頭が一杯でした。
 さてそのおじいちゃんを見るとまさに学校で教えられるような分回し歩行で歩かれています。これは学校で教えられたとおり「異常歩行である。健常者の様に脚はまっすぐに振り出すべきだ!」ということで早速、「脚をまっすぐに振り出しましょう!」と言います。
 するとおじいちゃんは「よっしゃ!」と言われて最初の1-2歩くらいはなんとかまっすぐに出されるのですが、すぐに元の分回し歩行に戻ってしまいます。
 だから僕もまた「脚をまっすぐに!」と言って、またおじいちゃんが「よっしゃ!」と言われてまた最初の1-2歩だけまっすぐに・・・・・
 ということを何回も繰り返します。僕の頭の中では「最初の1-2歩はなんとかまっすぐに振り出せるのだから、繰り返せばずっとまっすぐに振り出せるのではないか」という期待もあったのだと思います。それでしつこく指示します。
 しかしそのうち、おじいちゃんは「よっしゃ!」と言われなくなりました。さらにその後、遂に立ち止まって僕の方を向いて怒鳴られたものです。
 「よしわかった!お前の言う通りまっすぐに脚を出しちゃろう!じゃがその前にわしの脚を治せ!この脚はわしの思い通りには動かんのじゃ!お前が先にわしの脚を思い通りに動くように治してくれりゃあ、いくらでもお前の言うように動かしちゃるわい!」最後は口に泡を飛ばしながら激しく怒鳴られます!
 僕は雷に打たれたように一瞬にして体が動かなくなりました。確かに!確かに!その通り!ぐうの音も出ませんでした。僕はその場から走って逃げ出しそうになりました。「なんでこんな簡単なことに気がつかなかったのか!俺のバカ、バカ・・・カバ・・・」
 でも当時の学校では麻痺の治し方なんか教えていませんでした。それで理学療法士の免許を取ってから色々な「麻痺を治す」的な講習会に顔を出します。そして講習会で習ったやり方で色々とやるのですが何ヶ月経っても麻痺が治るなんてことはありません。
 先輩の理学療法士に聞いても、「そんなに簡単に治らない。何年もかかるもんだ」などと暢気なことを言っています。(結局後からわかったのは何年かかっても変化はなかったのです)
 「俺のやり方が悪いのか?」しばらく悩んだ時期もありました。
 でも日本にこの「麻痺を治すというやり方」が入って(その当時で)30年近く経つのに未だに「麻痺が治った」という科学的報告はありません。海外の論文も手に入る限り調べましたが、否定的なものが多いのです。中にはイギリスの厚生省に当たるところが「このやり方には効能通りの効果はない」などと声明を出しているのを読みます。
 それで「どうもみんな、『治るという希望や幻想』を追っているだけなのかもしれない」と思うようになりました。
 さらにアメリカでは、第三者委員会のようなもので脳性麻痺に対する各種アプローチの効果を調べるという研究もあって、持続的な運動変化を生み出すものはスイスの乗馬療法に少し可能性があるだけだ、などと知ります。「治す」という方向は間違いなのか?
 上記のように海外ではきちんとアプローチの効果があるかどうかを検証しているのに、日本ではただ理論に過ぎないものを信じて根拠も示さずに漫然と続けられているだけです。これはよくない。
 そんな時に出会ったのが「システム論」という理論です。この視点は従来の視点とは全く別の見方、別の理解をすることがわかりました。
 しばらくシステム論を勉強してみると、学校で教えている脳性運動障害の見方は150年前のジャクソンという神経学者の理論がほとんど形を変えずに教えられていることを知ります。150年の間、進歩していない見方で脳性運動障害を見ているということがすごくショックでした。
 それに従来の見方は人を機械のように理解していること。人の運動システムの作動の特徴を全く無視していることもわかります。
 「何やってるんだ、リハビリ!」と思わず思ったものです・・・・
 またそれらの勉強を通して理論とはある現象を説明するためのアイデアで、それを基に問題解決などを行う道具のようなものという考え方を知りました。理論はあくまでも説明のためのアイデアで真実でもなんでもないということです。日本ではその理論を真実のように信じている人達のなんと多いことか!
 だからシステム論も道具の一つ、学校で習う理論も道具の一つ。それぞれの道具で生み出されるアプローチを試して見て、自分で比べてみるしかないのだと思うようになりました。
 そしてその後も色々あって、CAMRはこれらの過程で生まれたものです。
 もしあの時、あのおじいちゃんから怒鳴られなかったら、何も考えずに過ごしていたかもしれないと思うと空恐ろしくなります。本当にありがとう!おじいちゃん!(終わり)
※毎週火曜日にCAMRのフェースブック・ページにオリジナル・エッセイを投稿しています。最新のものは「健常者のように歩きなさい!」
https://www.facebook.com/Contextualapproach

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