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『ドリームプラン』と、ウィル・スミスの自己啓発

ウィル・スミスは自己啓発が好き

実在のプロテニス・プレイヤー、ビーナス・ウィリアムスとセリーナ・ウィリアムスの姉妹が、いかに世界チャンピオンの地位にまで勝ち上がったかを描いた作品が『ドリームプラン』です。姉妹がプロの世界で活躍できたのは、彼らを導いた父リチャード(ウィル・スミス)のおかげだった……というのが本作のプロットになります。コンプトンに住む貧しい黒人一家の成功物語ですが、印象としては非常に自己啓発的です。ウィル・スミスは、みずからが製作へ関わった際に自己啓発的な作品を撮る傾向があり、私は以前から、彼のアメリカ的な成功のドラマに興味を抱いていました。本作はいかにも彼らしい成功のイメージを反映した映画として楽しめました。

「俺はふたりの娘を世界チャンピオンにする78ページの計画書を書いた。ふたりが生まれる前にね」と語る父リチャードは、守衛の夜勤をしながら娘ふたりにテニスの訓練を欠かさず、成功へのロードマップを忠実にこなしています。現実にそれが可能かどうかは別として、少なくともリチャード本人の頭のなかには、輝かしい未来のイメージが強固に存在しているのです。娘ふたりがテニスで成功するという確信にはほとんど根拠がないのですが、リチャードがあまりにも自信に満ちているので、周囲は彼の夢に否応なくつきあわされています。劇中、リチャードは娘を愛する父であると同時に、無謀な夢に取りつかれた人物、身の丈に合わない目標で家族を振り回す変人としても描かれており、観客は彼を応援すればいいのかどうかもよくわかりません。

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『幸せのちから』の違和感

ウィル・スミスはこうした、自己啓発的変人を描くことがよくあります。『最後の恋のはじめ方』(2005)に登場するナンパ指南役も興味ぶかいのですが、今回は『幸せのちから』(2006)について考えてみましょう。同作は、高給で知られる超一流企業に入社するため、無給のインターンを半年耐え抜いた主人公を描いた作品でした。高倍率のインターン採用は20人のうち1人のみ。選別に漏れた残り19人は、無給で半年働かされた後、用済みとばかりに放逐されてしまいます。さらには子連れの主人公には住む家もないのですが、駅のトイレで寝泊まりしながらでもインターンを続けていこうとします。最終的に主人公は正社員採用されるのですが、これを「よき物語」として描いてしまうところにウィル・スミスの歪みがあるように思うのです。子どもを駅のトイレで寝かせながら無給のインターンをするのはあきらかに間違っているのですが、主人公は無謀な賭けをして、その賭けに(たまたま)勝ちます。「俺はわずかな可能性に賭けた。なぜなら脳内に成功へのロードマップがあるから」というのがウィル・スミス思想の特色です。

成功のためには信念がなくてはならない、とウィル・スミスは主張します。ここまではわかりやすい。しかし彼がユニークなのは、ただしその信念に根拠は不要であり、自分が「これが正しい道だ」と心の底から感じられさえすればいい、と考える点です。これがウィル・スミス的(アメリカ的)自己啓発の正体ではないか。自分の立てた計画を100%信じ切る、そのために自己催眠をかけて信念を強固にしていく。自分の作った物語を完全に信じる態度(自分自身のナラティブに一体化する姿勢)こそが、アメリカ的自己啓発の本質ではないかと感じるのです。まだ生まれてもいない娘を世界的テニスプロにするために78ページの計画書を書く、という作業にはうっすらとした狂気が感じられるのですが、アメリカにおける成功とは狂気すれすれの場所でしか発生しないのかもしれません。そうした狂気を劇中に含めながら、ファミリー映画として強引に成立させてしまうウィル・スミスの作家性が、私は好きなのです。

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