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小川たまか『たまたま生まれてフィメール』(平凡社)

百貨店と商店街

私は長らく、フェミニストの女性に対して百貨店のようなイメージを抱いていた。あらゆる製品が何でも揃っているデパート・百貨店のごとく、フェミニストであれば、雇用問題、経済格差、リプロダクティブ・ライツ、夫婦別姓、その他多くのテーマに対してしっかりとした意見を持っているのだろうと、何となく想像していたのである(普段から勉強していて、意見が明確という印象があった)。わけても、テレビで話をしたり、書籍を出したりするフェミニストの方は、どのようなテーマにも自分なりの考えを持っているように見える。そんな、かなり一方的な思い込みを抱いていた私だったが、小川たまかの著書『たまたま生まれてフィメール』(平凡社)を読んで、誰もが百貨店のようにすべてのジャンルを網羅しているわけではないのだと、よく考えてみれば当たり前のことを思ったのだった。

実際、「あなたのフェミはどこから」で言うと「私は性暴力から」なのだ。出産・育児はもちろん、家事のあれこれや「嫁」業務については、ほとんど当事者性がない。それについて別に誰かに謝る必要もないのだが、なんかごめん……と言わなきゃいけない気持ちになることがある。

『たまたま生まれてフィメール』P39

小川氏は、性暴力については専門的に取材をしたり、裁判の傍聴をしたりするが、それ以外のジャンルについて、テーマによっては「ほとんど当事者性がない」ものもあると書いている。これは新鮮な発見だった。フェミニストのなかにも、個々に異なる優先度の高い問題があるのだ(なんかすごく普通のことを書いてしまっているが、私はよくわかっていなかった)。そこで、私のなかのフェミニスト像は変化し、百貨店というよりは商店街のようなイメージに変わったのだった。八百屋、電気屋、喫茶店、カレー屋、理髪店。そのような個別のサービスを持った店舗が並んで、ひとつの区画を形成する商店街が、フェミニストの姿に近いのではないかと思ったのだ。商店街で営業するたくさんの店が、住民のニーズを分担しながら提供するような、分業制としてのフェミニズムはすごくいいのではないかと思える。こうした動きはもう現実的に始まっていそうな気がするが、自分が得意なジャンルで何かをする、他の部分は別の誰かが補う、という方法はよさそうだ。

専門分野のリアリティ

本書は時事的なテーマを扱ったエッセイが中心で、性交同意年齢の問題(2017)、DHC社長の暴言(2020)、夫婦別姓に対する亀井静香の放言(2021)など、日々のニュースの洪水のなかで記憶が薄れてしまっていた過去の問題についてもう一度考えるきっかけをくれる良書だ。そうした時事問題に対する視点の鋭さは同書を読んでいただくとして、個人的にはやはり著者が専門とする、性暴力関連の文章、裁判傍聴の記録に学ぶところが多かった。裁判における理不尽きわまりない被告の主張など、読んでいて恐怖を味わうような記述もあった。生々しい内容が多いので引用はしないが、もし自分が被害者で、加害者が裁判でこの主張をしてきたら本当につらいだろうと思うような内容が多かった。

また、実際に現場へ行って取材しないとわからないことが数多く書かれていて、そうしたリアリティも読みどころだったと思う。私は裁判傍聴の経験がないため、そもそも傍聴とはどのような仕組みなのかを知らない。くじを引いて抽選で入場するくだりなど、背景の部分にも新鮮さを感じた。総じて、著者の守備範囲である性暴力に関する記述は、知らなかった世界を見せてくれる貴重なものであったと思う。扱うテーマに深刻なものが多く、ポジティブに締めくくりにくい題材が続くのだが、そんななかでも書き手の前向きな姿勢が随所に感じられ、ユーモアや優しさが垣間見えるのも、とてもいいところだった。

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