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『竜とそばかすの姫』と、細田監督はダメ出ししてくれるスタッフを雇いましょうの巻

※結末を含む内容について触れていますので、未見の方はご注意ください

まず書いておきたいのは、私は今作で主人公役の声優をつとめたミュージシャンの中村佳穂を、デビュー当時から熱心に追いかけてきたファンだということです。彼女が『竜とそばかすの姫』の声優に選ばれたというニュースを知ったのも、渋谷で行われた中村のライブの途中でした。彼女が直接、舞台上から観客に伝え、会場が大きくどよめいたのを記憶しています。本作における彼女の声、歌は本当にすばらしく、みごとなものです。わけても、冒頭で流れる曲の斬新さにはワクワクされられました。作品全体を同様に絶賛できればどれほど嬉しかっただろうと思うのですが、正直なところ、映画そのものについては落胆してしまいました。「中村佳穂は本当にすばらしかった」と強調した上で、作品について考えていきます。

第三者の視点の不在

『竜とそばかすの姫』を見て最初に感じたのは、細田監督ひとりの脳内で作り上げた世界観を、第三者の意見をあまり聞かずに作品化しているのではないか、ということでした。風通しがよくないように感じたのです。細田監督の書いた第一稿の脚本がそのまま映画になっているというか……。たいていの第一稿は、当初のひらめきとイメージで書いてしまうもので、バランスが悪いのは当然だと思います。アイデアの原石である第一稿を複数の人が読み、疑問点を挙げていくことでブラッシュアップするのが一般的ではないでしょうか。第二稿、第三稿と内容を変えていき、周囲の人たちの意見を取り入れながら、第八稿、第九稿あたりでようやく完成するといった脚本づくりのプロセスが、本作からは感じられませんでした(仮に「ブラッシュアップしてこの状態」となると、それはそれで別の問題が生じるのですが)。あるいは、ヒット作を連発する人気監督となった細田監督に対して、率直なダメ出しをするスタッフがいなくなってしまったのではと邪推をしてしまいます。

私は本作を一度しか見ていませんが、疑問点は多々あります。「仮想空間では具体的に何ができるのか」「カヌー選手の男子生徒があらすじにうまくつながっていない」「合唱の女性たちをもっと物語に寄与させるべきでは」「竜の正体のミスリードは逆効果ではないか」「女子高生をたったひとりで、身の危険があるとわかっていながら、東京の危険な場所へ行かせる理由は」「竜の正体の登場が唐突ではないか」「竜の正体の居場所を発見するプロセスが強引」などです。脚本を読めばこうした疑問が当然出てくるはずですし、それらは脚本をブラッシュアップさせることで解決が望めるものでした。むろん、ストーリーの辻褄があっていなくてもおもしろい映画はあるため、すべての辻褄がきっちり合っている必要性はないと思いますが、本作はこうした脚本上の齟齬が、映画全体の未消化な感じに直結してしまっているような気がします。

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さまざまな疑問点

たとえば、主人公(中村佳穂)が東京へ行く際、合唱の女性が見送るというのはいかにもちぐはぐです。DVで家族を痛めつけている男から、被害者の子どもを救いに行くのですから、危険に決まっています。主人公も殴られてしまうかもしれない。責任ある大人の態度として、一緒につきそうか、東京行きを反対するか、どちらかしかありませんし、大人の女性が、ひとりで出かける子どもを駅で見送るのはどうにもしっくりこない。「ひとりで行かせるのか……」と考え込んでしまいました。とはいえ、主人公が一人で東京へ行かなくてはいけない、というプロット上の必然性はあるわけですから、このくだりを「周囲の反対を押し切って、無断で東京へ行く」とするだけで、主人公の東京行きは納得のいくものに変わったのではないでしょうか。また、なぜDV男性が悲鳴を上げながら逃げていったのかもよくわかりません。主人公が仮想空間で得た自信が、オーラのように相手を圧倒したという意味でしょうか。卑劣な男性なら女子高生だって殴るでしょう。あそこで逃げ出す男なら、そもそもDVなどしただろうかと感じてしまいました。

また「仮想空間でならやり直せる」というのであれば、仮想空間で成功した人の例を見たかった。有名な歌姫がいるとか、運次第でインフルエンサーになれるというなら、現在あるSNSと変わりません。「運動の苦手な人でも、仮想空間のスポーツ大会でなら勝てる」だとか、何か実例を出さないと伝わりにくいと思います。U(仮想空間)にはどのような快楽や利益が待っているのか、どう人生をやり直せるのかを説明しないため、Uが「人びとが空を飛んで、うわさ話をするだけの場所」にしか見えないのは、いかにも惜しいです。そもそも、Uで空を飛んで移動しているたくさんの人たちは、どこへ向かっているのでしょうか。これを見た子どもが「Uに行ってみたい」と思わなければ、作品としては失敗している気がします。Uで何ができるのかが不明瞭なので、それほど行きたくならないのです。また竜の正体についても、多少の前振りはあるものの、急に出てきた感が否めず、どうやって感情移入すればいいのかがわかりません。正体のミスリードによって、それまで竜ではないかと思われていた「しのぶくん」(成田凌)の存在感が、急に薄まってしまうようにも感じました。それまであらすじにほとんど絡んでいない人物が、突如として大きな役割を担うような展開は妙です。

口の悪い若手スタッフを雇いませんか

さらには、作品が何をテーマにしているのか、あまり明確ではない点も気になります。仮想空間批判なのか。真のコミュニケーションは対面でなくては成立しない、というメッセージなのか。現実世界と仮想空間を対比させつつ、両者で同時にストーリーが展開していく『サマーウォーズ』(2009)的なモチーフでしょうか。それとも高校生の恋愛模様なのか。思うに、それぞれの題材がトータルとしての作品へ向けてうまく結束されていませんでした。中村佳穂の歌を生かしたい、という監督の意図は、彼女のいちファンとしては嬉しいのですが、ストーリーの本筋と歌の場面が乖離してしまっているような印象を受けます。ラストシーン、人びとが主人公を歌で応援し、声が集まってこだまになっていくといった展開も、なぜこのように人びとが熱狂するのかうまく伝わらず、見ていてやや気恥ずかしくなってしまいました。

そこで細田監督に提案なのですが、口の悪い若手スタッフを雇って、ダメ出してもらうというのはどうでしょうか。「ここダメっすね~」「行動の理由がわかんないです」「このキャラ要ります?」等のツッコミを遠慮なくしてもらって、脚本を書き直すのです。脚本をブラッシュアップする専門チームを作って、わいわい騒ぎながら稿を重ねてみてはどうか。ここは推測になってしまうのですが、いま細田監督に意見できる人って少ないんじゃないでしょうか。脚本については第三者を入れるべきだと思います。歳下のスタッフにダメ出しされるのは苦手かもしれませんが、「諫言耳が痛い」と苦笑しながら作品を直していくのも、案外悪くないものですよ。

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