見出し画像

BEYOOOOONDS 『LIVE BEYOOOOONDS 1ST』と、誰も見たことのない度胸だめし

遠いと思っていたアイドル文化

マンガやアイドルなど、個人的にいままで全く触れてこなかったジャンルを知る必要性を感じ、いま意識的に勉強しています。ハロープロジェクト(モーニング娘。などが所属しているアイドルグループの大きな団体)に詳しい会社の同僚から講義を受けつつ学んできた私ですが、同僚オススメのグループ BEYOOOOONDS のライブBlu-rayを借りました。2019年におこなわれた、グループ初単独ライブです。自分からはもっとも遠いと思っていたアイドル文化ですが、ビヨーンズは何ともかわいらしく、映像を見ているうちに動悸がしてきて、テレビの前で少しひざをついて呼吸を整えなくてはなりませんでした。すいません救心ください。

おそらくビヨーンズに関する記事は山のようにあるはずなので、グループの基本的な情報などは割愛し、ここではなぜ彼女らの楽曲「元年バンジージャンプ」(2019)はこれほどにすばらしいのかに焦点を絞りつつ、ビヨーンズの歌詞の世界を俯瞰してみたいと思います。私もまだビヨーンズのことをよく知らないのですが、特徴としては楽曲の冒頭や間奏で寸劇が披露されるなど、シアトリカルな表現をするグループだという点で、前提としてはその部分だけを押さえておけばいいと思います。まずは楽曲を聴いてみましょう。

「元年バンジージャンプ」の衝撃

この曲が、私を悶絶させた「元年パンジージャンプ」です。すばらしい。なにより、冒頭のメロディ「さあ元年だ バンジージャンプ!」の後に続く「度胸だめしだ ビヨンビヨーン」の合いの手に、こんな楽曲は聴いたことがないという驚きを感じ、この弾けるような躍動感は何だろうかとしばし唖然となりました。ほとんど奇抜といっていい合いの手が、その振りつけのキュートさもあいまって、楽曲のはつらつさ、心地よさに欠かせない要素となっています。ビヨーンズは意表を突く要素をポップな楽曲内に落とし込む傾向があるのですが、「元年バンジージャンプ」はポップと奇抜のバランスにおいて理想的であるように思います。この曲を聴き終えた私はほとんど腑抜けの状態になっていたのですが、このままではいけない、いったいこれは何なのかをきちんと理解しなければと思い、楽曲について考え始めました。

同曲は VULFPECK "Conscious Club"(2015)を参照していると思うのですが、構造として非常によく似てはいても、両者には大きな差があります。たしかに「元年バンジージャンプ」は、「メロディと合いの手」という "Conscious Club" の特徴を取り入れてはいるものの、どうすれば「度胸だめしだ ビヨンビヨーン」という驚愕の合いの手にたどり着くのかだけは見当がつかず、そこには創作上の大きな跳躍があると思うのです。おそらく「何か、おもしろい合いの手を入れたいね」という楽曲制作者の試行錯誤があり、最終的に現在の状態に落ち着いたのだと予想するのですが、その経緯はぜひ知りたいところです。

BEYOOOONS 歌詞の世界

スクリーンショット 2021-05-30 18.17.15

ビヨーンズの歌詞は恋愛を扱ってはいますが、決して具体的ではなく、遠くにうっすらと見える蜃気楼のように不確かな「恋愛らしきもの」について想像するような歌詞がほとんどです。このリアリティのなさ、現実味の薄さがポイントではないでしょうか。語り手はいずれ、ずっと向こうでおぼろげに見える「恋愛」という場所に到着するはずですが、いまはまだ遠くにあって切実さを帯びていません。そのリアリティの欠如がもっともよく示されるのが「眼鏡の男の子」(2019)です。同じ通学電車で毎朝見かける男子高校生に恋する女子高校生の気持ちを歌った同曲ですが、そもそも語り手は眼鏡の男の子とひと言も会話したことがなく、彼がどのような性格かすらもわかっていません。

ここで登場する「眼鏡の男の子」は、主人公の「誰かと恋をしてみたい」といううっすらとした願望、概念を流し込む「容器」「型」のようなもので、男の子と関係を前に進めようとしても、何をどうしていいのかすらわかりません。結果「君とカノジョ見かけちゃって 人知れず儚く散った恋」と歌われるように、電車で見かける男の子との恋は何の進展もないまま終了します。このひとり相撲、空転する感覚がみごとなのです。また「高輪ゲートウェイができる頃には」(2019)は、新駅の完成をモチーフにしたノベルティソング風の楽曲として、非常にユーモラスでハイクオリティな仕上がりの1曲です。アイドルに曲を提供したり、時事ネタを盛り込んだノベルティソングを得意とする音楽家に堀込高樹(KIRINJI)がいますが、彼がこの曲を聴いたら「これは自分が書くべきだった」と悔しがるのではないかと想像してしまいます。

「高輪ゲートウェイ駅ができる頃には 私を彼女にしてね」

スクリーンショット 2021-05-30 18.18.26

「高輪ゲートウェイ駅ができる頃には 私を彼女にしてね」と歌われる同曲には、恋愛の成就を少しだけ先延ばしにしたいという気持ちが託されています。いますぐ恋が成立しては困ってしまうのです。あるいは語り手の女性は、ただちに意中の男性へ交際を申し込んでもいいはずなのですが、彼女は決してそうしません。それは男性に拒絶されるのではないかという怖れなのかもしれませんし、実際に交際が始まったとして、その心理的な重圧や不安に耐えきれないからなのかもしれません。恋愛は楽しいけれど怖い。だからこそ「高輪ゲートウェイ駅ができる頃には 私を彼女にしてね」と、ほんの少し先の未来へ結論を遅らせようとするのです。いますぐ恋が成立してしまうことを、語り手は怖れています。付き合ってみたいけれど、いまではない。その不安の感覚が実にリアルなのです。

さて、ビヨーンズの何にときめいたのか、聞かれてもいないのに長々と語ってしまいました。たいへん申し訳ない。ライブ映像を見て大いに触発された私ですが、ビヨーンズのメンバーは高校生が多く、そのような子どもたちを応援していいものか、そこについてはいまだに悩んでいます。私のような年齢の者が彼女たちのライブを見ることは、それ自体が何らかの搾取ではないのか。高校生の子どもたちは、精神的に追い詰められたり、学業の機会を損なわれてはいまいか。世の中のアイドルファンは、こうした問題にどう折り合いをつけているのか、私はよくわかっていません。ああ、悩ましい。しかし「元年バンジージャンプ」がすばらしい楽曲であることだけは疑いようがなく、ぜひ多くの人に知ってほしいというやみくもな気持ちで、この記事を書いた次第です。【了】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?