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『ブラック・フォン』と、小さな町の人さらい

小さな町で完結する物語

『ブラック・フォン』は、人さらい映画である。劇中、とある町に住む子どもが、次々とどこかに連れていかれてしまうが、犯人は見つかっていない。多くの子どもがさらわれ、行方知れずとなっている小さな町が『ブラック・フォン』の舞台である。主人公の少年フィニー(メイソン・テムズ)は、仲のよかった同級生が行方不明になったことに衝撃を受ける。町の誘拐事件は依然として止む気配がない。ついには──誰もが予想している通り──主人公自身も人さらいにつかまってしまう。地下室に監禁されたフィニーは恐怖におののくが、突如として地下室の壁にかかった黒電話が鳴った。なぜ、線がつながっていない置き物の電話が鳴るのか。その電話は、かつて地下室に監禁され、誘拐犯に命を奪われた子どもたちから送られてくるメッセージを受信する手段だった──。

物語のすべてが、ひとつの小さな町のなかで完結しているのがとてもいい。この小さな町が、子どもたちにとっては全世界である。子どもが行動できる範囲が、そのまま映画の舞台になっているのだ(80年代のキッズムービーに多い設定である)。しかし、そんな小さな町で誘拐を続ければ、いずれ足がついてしまいそうなものだが、犯人は決して町の外には出ず、律儀に近所の子どもだけをターゲットにしている。せっかく大きなバンを持っているのだから、車で町の外へ出て誘拐をしてもよかろうに、この変わった犯人もまた、子どもたちのルール「町=全世界」にのっとって行動しているのだ。ひとつの町で完結するあらすじが、子どもを中心に据えたホラー映画としてはもっともベストなサイズ感なのだ。行方不明になった兄を探すため自転車で近所を探し回る主人公の妹の姿に、どこか自分の子ども時代を重ね合わせるのは、犯行現場も監禁場所も、すべてが自転車で行ける範囲内にあるという独特の近さにあるためだ。子どもは、日が暮れるまでに自転車で行って帰ってこれる場所までしか移動できないのである。

兄妹の関係性がGOOD

邪悪な父親(的存在)

主人公を地下室に監禁するのは、子どもたちを抑えつけ、脅迫し、身動きを取れなくさせ、命を奪っていく男グラバー(イーサン・ホーク)である。アメリカ映画にはこの悪役のように、子どもを圧倒的に支配する「邪悪な父親(的存在)」が登場することが多い。『狩人の夜』(1955)のハリー・パウエルのように、あるいは『スター・ウォーズ』シリーズ(1977〜)のダースベイダーのように、挙げていけばきりがないが、どこまでも子どもを追ってきては、支配する父親(的存在)が存在する。実際に血がつながっていなくてもいい。アメリカ映画において、ある日突然、途方もなく大きく怖ろしい男が立ちはだかれば、それは「アメリカの父」なのだ。椅子に腰掛けたまま居眠りをするグラバーの巨大な身体をとらえたショットは非常におぞましく、観客を恐怖させる。なぜならアメリカでは、父は何よりも強大であり、子どもは命がけで父に挑みかかる必要があり、生きるか死ぬかの戦いを勝ち抜かなければならないためだ。アメリカの父親とはそのように暴力的で、荒れ狂う存在なのである。

もっとも印象的なショットは、地下室で初めて黒電話が鳴り、おそるおそる電話に近づく少年をフィクスでとらえた場面だ。画面の右端に少年、左端に電話。ゆっくりと電話に向かって歩いて行く少年を固定した視点で写すシーンに興奮した。この場面に、映画に込められた恐怖や希望がすべて凝縮されているように感じたのだ。また、妹が超能力を使って兄を探し、助けに行こうとするモチーフにも胸を打たれる。邪悪な大人の力に、子どもが超能力で対抗するという図式がすばらしい。そこまで期待せずに見に行ったのだが、非常に満足した作品だった。

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