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藤井聡太さんはなぜあれほど謙虚でいられるのか

19歳にして、日本将棋界最年少での五冠という大記録を達成した藤井聡太さん。途方もない偉業をなしとげた彼だが、驚くべきはその謙虚さである。新聞によれば、自分を駒に例えるとしたら何かとの問いに「自信がない。人としては『歩』ぐらい」と答えたのだという。彼は将棋が強いだけではなく、人格者でもあるのだ。決して驕らない、成熟したその態度に私は感服した。すばらしいと思った。

勝敗というかたちで結果が明確にかえってくる将棋の分野で、若くして最強棋士となった彼が、なぜこれほどまでに謙虚でいられるのか。私は絶対にムリだ。もし私が藤井さんの立場にいたら、控えめな態度でなどいられない。調子に乗ってビッグマウスを連発してしまうと思う。なにしろ藤井さんは、今年2月に行われた王将戦など一気に4連勝してしまい、相手に1局も負けなかったのである。もし私が19歳という、人生経験の少ない段階でここまでの結果を出してしまったら、図に乗らないでいられると思えない。19歳の私は、インタビュアーへ向かっておおいに吠えるだろう。

「ボクを駒に例えたら、だって? その答えはさ、『全部の駒』だよ! なぜならボクは将棋そのものだから。ボクは飛車であり角であり、同時に金であり王なんだ。ボクにはすべての駒の能力が備わっているんだよ。将棋界の王にして唯一無二の存在、それがボクだ! あー、手応えがないなあ。もっとボクを苦しめるような相手はいないのかしら。記者さんわかるかい? ボクはいま退屈してしまっているんだ。たまには敗北の痛みを味わってみたいよ。まあそれも、叶わぬ願いなんだろうけどね……」

将棋界から追放されかねない大炎上が起こりそうだ。しかし19歳の私は、おそらくこんな不遜すぎる自己像を脳内に描いていたような気がする。さらには、藤井さんは将棋でしっかりと結果を出しているが、私は何の結果も出していない、大学の単位すら落としがちだった、何の取り柄もない学生でしかなかったにもかかわらずである。私には本当に何もなかった。それにもかかわらず、あれほど「自分はすごいのだ」と過信できていたのはなぜだったのだろうか。理由はわからないが、19歳の私は「自分はとにかくすごい、理由はあとから説明する」と思い込んでいた。そのことを考えると、たまらなく恥ずかしい気持ちになるし、謙虚さを保てている藤井さんがまぶしく見えてくるのだ。

だからこそ、若くして成功した起業家やユーチューバーがイキり倒しているのを見ると、少しだけ安心してしまう私なのである。そうだよね。そんな若さで億単位の収入を得て、目のくらむようなタワマンに住んだら、当然イキっちゃうよね。私だってきっとそうすると思うな。彼らのはしたないイキり姿を見ながら、そんな優しい気持ちになれるのだ。よかった、愚かなのは私だけじゃなかったんだ。そして謙虚さを是とし、敗者にも尊敬の念を持って接することを求める将棋界は、実に上品で礼儀正しい世界だとあらためて感心した次第である。マナーが人を作る(Manners Maketh Man)。私は藤井さんを尊敬している。

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