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『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』と、余計なことをする人

サリンジャーの出版エージェントに入社

映画『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』は、ジョアンナ・ラコフの著書『サリンジャ―と過ごした日々』(柏書房)を下敷きとした映画である。アメリカの出版エージェントに働く女性が主人公だ。ここで一応説明しておくと、日本ではまだ一般的ではないが、海外の作家はエージェントに属していることが多い。イメージとしては芸能事務所のようなものだが、海外ではエージェントが作家の書いた作品を吟味し、どの媒体に掲載するか、どの出版社から刊行するかを判断する役割を担っている。本作の主人公は、ニューヨークにある出版エージェントで働く女性ジョアンナ(マーガレット・クアリー)。このエージェントのクライアントのひとりにサリンジャーがいた、というのが本作のあらすじだ。

作家志望のジョアンナは、ニューヨークで働きながら小説を書きたいと考え、出版エージェントの面接を受けて合格する。同じく作家を目指す恋人もでき、彼と一緒に暮らしながら働き始めた彼女。職場で与えられた仕事のひとつは、エージェントに送られてくるサリンジャーへのファンレターに定型の返事を出すことだった。いかなる手紙がきても、返信の文面は「サリンジャー氏は個人的な手紙へ返信しません」のみと決まっている。届いた手紙に脅迫等の文面が含まれていないかどうかを確認するため、すべてに目を通す必要があるが、そこに書かれた熱いメッセージを読むたび、ジョアンナの心は揺り動かされ、個人的に返信をしたいという抗いがたい欲求に襲われる。しかしジョアンナは、まだサリンジャー作品をひとつも読んでいなかったのだった。

本屋さんで知り合った彼氏です

何もしていない人

ジョアンナがユニークなのは、自分の軽薄さを隠さない正直な態度である。これは本当にすばらしい。彼女がなぜニューヨークで働きたいのかといえば、「ニューヨークの安アパートに住んで、カフェで小説や詩を執筆し、作家になる」というふんわりとしたイメージに憧れたからだ。でも、実際に働き始めた彼女は、作品などいっさい書いていない。サリンジャーへ熱い手紙を送ってくるファンに上から目線で講釈を垂れたい気持ちがおさえきれず、実際に彼らの手紙へ勝手に返信までしてしまうのだが、まだ『ライ麦畑』すら読んでいない状態。そのすべてが雰囲気優先、頭でっかちで軽薄だからこそ、この映画には独特のリアリティが生じる。「何かをやろうと思ってはいるけれど、実際は何もしていない人」が、私はわりと好きだ。

恋人の書いた小説の原稿に朱を入れ、ここがダメだ、ここがよく書けていると批評なんぞしてみるものの、結局「自分は何も書いていない」という事実をつきつけられてしまう主人公。一方恋人は、どれほどひどい小説でも、少なくともひとつの作品を書き上げたのだ。そこで引け目を感じる主人公の、ちくちくした痛みがすばらしい。やるのもしんどいけど、やらないのもしんどい。さらには、エージェントに電話してきたサリンジャーにまで「何か書いているかい、ちゃんと毎日書かなきゃだめだ」と指導される始末。すいません、一文字も書いてないんです私。だからこそ本作の主人公は、その何もしなさで観客を惹きつける。だいたい、実際に何かを完成させる人の方がめずらしいのだ。何もしないのは、普通の人間であることの証明でもある。

エージェントの上司(シガニー・ウィーバー)

余計なことはちゃんとする

では、作品を書かない代わりに主人公は何をするか。「余計なこと」である。出版エージェントで働くただの事務員なのに、サリンジャーに送られた手紙に返信をし、アドバイスしてしまう。作品は書かないが、頼まれてもいない手紙の返事ならすらすら書けるのだ。返信を読んだ相手が怒ってエージェントに乗り込んでくる場面など、目も当てられない。定型文の返信は、相手の領域に踏み込まない配慮、距離感を保ったある種のエチケットでもあったのだが、その配慮を主人公は理解できていないのだ。また、ファンから来た手紙をサリンジャーに渡さない、というルールを破って、サリンジャーの上着のポケットに、よく書けている手紙を厳選してそっと忍ばせるのも彼女だ。しかし、こうした「余計なこと」が、ときには人と人のコミュニケーションを生んでしまうのもおもしろい。余計なことだって、やってみると意外に役に立ったりするのである。

それにしたって、書くことは怖いものだ。書き始めた瞬間に、自分は何も書けないと悟ってしまうかもしれない。書く前は無限だった可能性が、書くほどに有限になっていくことに耐えられない。その他、書き始めない理由はいくらでも挙げられる。なかなか書き出せない主人公がどうしても他人とは思えず、胸がキュンとしてしまうのであった。本作において、主人公はエージェントを辞めて執筆に本腰を入れるであろう、という終わり方をする。現実の彼女は『サリンジャ―と過ごした日々』を書き上げて上梓したのだが、結局何も書かなかった、という結末でもいいと思う。ゼロからイチを作り出すのは、本当にしんどくて、困難な作業なのだから。

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