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『NOPE/ノープ』と、自分で自分を中抜きすること

ネタバレ厳禁の映画、ジョーダン・ピール新作『NOPE』。私が感じたことを、内容にいっさい触れずに、別の何かに置き換えて説明するとなれば何が言えるだろうか……と考えた結果の文章が以下です。

お笑い芸人やタレントで、自分の容姿のまずさを笑いに変えるタイプの方がいる。場にあらわれたら、まずは周囲から見た目の欠点をいじってもらってひと笑い。それが彼/彼女の存在意義であり、必要とされる役割となる。誰でも見たことがある、こうした芸風をどうとらえればいいだろうか。それで仕事がもらえるのだからいいではないか、彼ら自身の選択なのだから口を出すべきではないという考え方ももちろんある。では私たちは、そうした芸人やタレントの「使えるモノは何でも使って生き残る、たくましい根性」を見習うべきか。映画『NOPE/ノープ』は、そうした考え方に異議NOPEを唱える作品だ。なぜか。それは「自分で自分を中抜きしているから」だと、このフィルムは主張するのだ。

中抜き。本当に必要な場所へ投じられるべきお金やリソースを、第三者が途中でかすめとってしまう行為。搾取。自分の容姿のまずさを道具として利用したタレントは、たしかに仕事を得られるかもしれないし、それなりのギャラがもらえるかもしれない。しかし、ほんらい自分が求めていた精神的な満足は得られないと私は思う。笑いのセンスや機転のきいた発想は認めてもらえず、容姿のまずさを笑われることでその場にいさせてもらえるとすれば、精神的な満足度はいつまで経っても30%、40%で止まったままだ。なぜ自分は100%の満足度を得られないのか。それは「自分で自分を中抜きしているから」なのだと、監督のジョーダン・ピールは考える。われわれは自分に対する中抜きを止めなくてはならない。

『NOPE/ノープ』に登場するのは「自分で自分を中抜きしている」人たち、そしてその構造から抜け出せなかったり、中抜きの構造そのものに気づいていない人たちだ。それは、エンターテインメント業界における黒人、アジア人が置かれた状況のメタファーであると同時に、われわれ自身が陥ってしまいがちな失敗でもある。自分を貶めてしまい、得られたはずだった100%の充実感や幸福をみずから投げ捨ててしまう行為。空にいる謎の「何か」は、搾取の構造に気づかずにいる人間を狙い、襲ってくる恐怖の存在だ。「何か」に打ち勝つためには、中抜きの構造に気づかなくてはいけない。私から大事なモノを奪っているのは誰なのだろうか?

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