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『ディア・エヴァン・ハンセン』と、不要なサービス精神

同情心から、つい

内気で性格の暗い青年の、陰鬱な高校生活をテーマにしたミュージカル『ディア・エヴァン・ハンセン』。本作の主人公エヴァン(ベン・プラット)が置かれた立場は、それなりに理解できるものでした。分別の足りない高校生であれば、あるいは私自身、似たようなことをしてしまいそうな気がしました。また、人と接することが苦手な主人公が、同級生と話す際の声の震え、目の泳ぎ方、不安そうな表情なども迫真であり、思わずスクリーンに見入ってしまいました。この手のミュージカル映画は当たり外れが大きいため、実はあまり期待していなかったのですが、非常に満足して映画館を出ました。

主人公エヴァンの通う高校で、あまり素行のよくなかった生徒コナー(コルトン・ライアン)が自死したというニュースが流れます。コナーとはほとんど面識のなかったエヴァンでしたが、とあるきっかけからふたりが親友であったと誤解されます。息子の死で悲嘆に暮れるコナーの両親(エイミー・アダムス、ラリー・モーラ)が「学校にコナーの友だちはいないと思っていたけれど、あなたは友だちでいてくれたのね」と声をかけてきたとき、彼は同情心からつい「親友のふり」をしてしまい、いかにも両親が聞きたそうなエピソードをでっち上げます。また以前から、コナーの妹ゾーイ(ケイトリン・デヴァー)の存在が気になっていたエヴァンは、「兄の親友」というポジションからゾーイと自然に接近することができました。孤独だった彼が見つけた新しい人間関係。とはいえ、すべては嘘から始まったものです。主人公はやがて引っ込みのつかない状況へと追い込まれていきました。

「これは本当の自分ではない」

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両親から「コナーのことを聞かせて」と言われる場面を見て、「これは私でも話を盛ってしまうだろう」と感じました。この状況であれば、私だって「彼はいいやつでした」ぐらいは言うかもしれない。それで両親が息子の死の苦痛から少しでも回復できるなら、「よく一緒にピザを食べました」「優しい心の持ち主です」などとリップサービスしてしまいそうです。とはいえ、エヴァンの行為はかなりグロテスクな方向に転がってしまいます。学校内でも一目置かれるようになり、ずっと気になっていたゾーイとも仲良くなれた主人公ですが、それらがすべて自分のついた嘘から始まっているというのは、冷や汗のでるような体験です。たしかに私も高校時代には、何をしていても「これは本当の自分ではない」と感じるような経験があって、そのしっくりこない感覚、すべてがまやかしであるような気持ちになったものですが、本作はこうした心理をうまく物語に昇華しつつ描いている作品です。

中盤以降、まさに目も当てられない展開とはこのことかという場面が連続し、私は座席で悶絶してしまったのですが(私は、主人公が恥をかいたり、みっともない目にあうと、まるで自分が同じ経験をしているような感覚に襲われていたたまれなくなるのです)、こうした恥の感覚を含めて、思春期の激しいエモーションをうまく包んでいるのが、劇中で演者の歌う多くの楽曲でした。どれもさわやかさのあるポップな曲調なのですが、あらすじとミュージカルの構成に必然性があり、両者がうまく合致しています。どの曲もひねたところのない、素直ですっと耳に入ってくるものばかりで、それが心地よいのです。妹役のゾーイなど、これぞ青春映画に出てくる若者、というキュートな雰囲気があり、気がつけば物語に入り込んでしまいました。またジュリアン・ムーア、エイミー・アダムスといった実力派が脇を固めるキャスティングも、成功の要員だったように思います。

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