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中年に「ドラゴンクエスト3」をクリアする元気と時間はあるのか

リメイクが発売された

さて「ドラゴンクエスト3」である。1988年(昭和ラストイヤー)にファミコンで発売されたロールプレイングゲーム。以降、複数のハードにまたがって何度となく再発表された作品で、私もファミコン版、3DS版でプレイしたが、今度は映像もHD-2DとなってSwitchやPS5などでリリースされた。まあ、HD-2Dが何なのかは、私もよくわかってないんだけど。ドラクエの初期タイトルといえばもう、発売日にソフトのひったくり犯が出るくらいの、とんでもない大流行をしていた。あれほどの熱狂はあまり見たことがない。電気グルーヴのピエール瀧は「ドラクエ2」のやりすぎで専門学校を退学しているが、当時はたしかに人生の進路が変わるレベルの興奮があった。今回のリメイクを買っているのも、中年が多いのではないかという気がする。いまどきの子どもは、ドラクエ興味あるのかしら。発売日の11月14日に家電量販店へ寄ったら、思いのほか盛り上がっていて、勢いで買ってしまった。私は何回、同じドラクエをやれば気が済むのか。「ドラクエ、もうええでしょう」とピエール瀧のまねで自分に問いかけつつ、プレイは一応するのであった。

家に帰って、ひとまず遊んでみたが、主要な登場人物(母親や王様など)のせりふが、実際に人間の声で語られるのがびっくりした。もうドラクエってこんな風になっているのね。ドラクエのせりふは、文字送りとともに流れる「ぷるるるる、ぷるる」の音で読むものと思い込んでいたので、要所で声優さんの声が流れるのに驚いてしまう。しばらく触ってみると、その親切な設計にもすぐ気がついた。忘れそうな会話の記録機能(村の北西に泉がある、といった情報を聞いたら、会話保存ボタンを押すといつでもリプレイできる)や、次にやることの表示(ドラクエでは「あれ、次なにやるんだっけ?」が意外に起こりがちだ)、目的地を地図上でわかりやすく示す機能(どこに行けばいいのか悩まずにすむ)など、「プレイヤーを途中で脱落させない工夫」が徹底している。町に入ると、すぐに町全体の地図がチェックできる。敵は決して弱くないが、互角の勝負ができる調整になっている。また、塔や洞窟のなかに落ちている武器や防具が思いのほか多くて、わりとすぐに強くなれた。なにしろ至れり尽せりだ。ルーラ(町へ戻る呪文)の消費MP(マジックポイント。便利な魔法が使えるが、使うとポイントが減っていく)がゼロというのも意外だった。総体的に「すごく親切なゲームをプレイしている」という印象である。

「親切設計」をどう解釈するか

当初は、この親切さに対して、ファミコンやスーパーファミコンといった古いハードで遊んでいた人間の矜持のようなものが邪魔をしていた。ヌルいゲームなどやれるものか。かつてはハードの性能が低いゆえに、ひとつのゲームに入れられる情報やアシスト機能は限られており、設計は不親切にならざるを得なかった。そのため、必要な情報すべてを手元のノートへメモし、忘れないよう工夫し、じっくりと謎解きし、ときにはフィールドやほこらを彷徨いながら、全滅を繰り返しつつクリアしていった。そこにはハードの性能が低いがゆえのアナログな歯応えがあり、往年のゲーマーはその歯応えに燃えていた気がする。私も、ドラクエ史上最難関と言われる「ロンダルキアへの洞窟」を、ひたすらノートにメモしながらプレイし、夢中で進んだ。楽しいとは思ったが、苦しいとはまったく感じなかった。そんな歴戦の勇士たる私が、「次の目的地はここですよ」と地図上にあらかじめ目印がついているようなおせっかいゲームを遊べるものか。なんかばかにされているような気がしてくる。

しかし、いまや中年となったプレイヤーたちはもう、ゲームを隅から隅まで遊びつくすような元気はなくなっているのが現状だ。悲しい。中年は基本的に疲れている。仕事がダルい。健康診断では嫌な数値が出てくる。老眼も始まってしまった。たまにゲームを遊ぼうとしても、なんか途中でめんどうになって止めてしまう。ゲームへの貪欲さが失われているため、買ってプレイし始めたはいいが、未クリアのままさわらなくなったゲームがどれほどあるか。そして今回の「ドラクエ3」は、そんな中年ゲーマーの抱く都合のいい欲求、すなわち「ドラクエのエッセンスは味わいたい、しかし町にいる人全員に話しかけたり、洞窟を何度も行き来して取り残したアイテムがないか確認したりするような元気はとてもない」という本音にちょうどよく寄り添ったデザインとなっているのだ。私自身、ゲームを開始して最初の城を出たはいいが、先ほど王様から受けた説明をすっかり忘れて「あれ、それで私はなにを探すんだっけ?」と困ったところで、画面上に見やすく表示された「とうぞくのかぎをさがす」のメッセージに「ああ、そうだった……かぎだ」と思い出させてもらうという、情けないスタートとなった。もう、このくらい補助してもらわないとロールプレイングゲームが遊べない状態に、私はなってしまっていたのだ。

ガイドつきのバスでのんびり巡る旅

つまり今回の「ドラクエ3」は、かつて足にマメを作りながら徒歩で旅した土地を、ガイドつきのバスでのんびり巡るような雰囲気がある(もし、もう一度徒歩で旅したいのなら、難易度をハードモードに切り替えることで、当時のたいへんさを味わえるようになってはいるが、私はそうする余裕がない)。たしかに、これからあの場所をもう一度徒歩で歩くのはしんどい。大人となったいま、あんなに夢中になってゲームなんてできないのだ。なるべくラクしたいというよこしまな思いが出てくる。高尾山に登るなら、ケーブルカーでなるべく頂上近くまで行きたい私だ。ゲームもいいが、それだけ以外もしたい。しょっちゅうサウナに行かないと体調が保てないし、友だちと飲みにだって行きたい。結婚している人なら、子どもの世話だってある。大人だから、それなりにいろいろあるのよ。残業しろとか言われるし、たまには勉強もしないといけない。私はただ、そんなあれこれの合間に、当時のドラクエの熱い感じを、ちょっと思い出したいだけなのだ。

おそらく、ファミコンで遊んでいたのどかな時代とは、時間に対する感覚も違うのだろう。このサブスク時代、人びとが何のメディアや対象に対してどのように時間を使うかは、いまや途方もない競争になってしまった(例の「アテンション・エコノミー」ってやつである)。そう考えた際、今回の「ドラクエ3」が持っている、「ちょっと雰囲気を味わいたい」の気持ちに応えてくれるゲームバランスは実に現代的だという気がする。挫折せずに進める。挫折は昔いっぱいしたから、もういい。「子どもの頃、この洞窟で苦労したな〜」と思い出せればそれでよいのである。往年のゲーマーなら、ロールプレイングゲームの挫折がどんな感じかは、嫌というほど覚えているのだから。そして来年は、どうやら「ドラクエ1&2」がHD-2Dで出るらしい。「2」なんてもう、複数のプラットフォームで何回遊んだかわからないが(DSでも、プレステでも、スマホでもやった)、出たら買ってしまうんだろうなという気がする。当時、中学生だった私は、こんなに人生がドラクエにまみれているとは思わなかっただろう。

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