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『カオス・ウォーキング』と、SFとしての西部開拓

脳内の思考が他人に伝わってしまう世界

2257年の未来。環境破壊により居住できなくなった地球を捨てた人類が、宇宙旅行の末に到着した新たな星「ニュー・ワールド」が本作の舞台です。ニュー・ワールドの住人は農作業や狩りで日々の暮らしをまかなう質素な暮らしをしています。主人公トッド(トム・ホランド)もまた、この星で暮らす青年のひとりでした。この星が特徴的なのは「脳内の思考が、口に出さずとも思念や目に見えるイメージとなって、他人に伝わってしまう」という奇怪な現象が発生していることでした。何も言わずとも、周囲に考えが知られてしまうのです。こうした思考の伝達現象は「ノイズ」と呼ばれ、ノイズが出るのは男性のみと決まっています。また、この星にいるのは男性だけであり、女性はみな「スパクル」と呼ばれる先住民に殺されてしまっていました。ある日ニュー・ワールドに宇宙船が墜落します。宇宙船には女性(デイジー・リドリー)が搭乗していたため、ニュー・ワールドの住民は混乱に陥り、女性をつかまえようと追っ手をかけるのでした。

この映画が開拓時代のアメリカをモチーフにしていることは、住民たちの共同体の描写や、移動手段が馬である点などによって伝わります。SFのフォーマットで西部開拓劇をやり直す、というアイデアは過去にも前例があります。また「スパクル」と呼ばれる先住民がネイティブアメリカンの暗喩であるのはあきらかです。それでもいくつか不可解な点はありました。なぜノイズが男性からしか発生しないのか? ここは考察しがいのある設定です。劇場用パンフレットによれば、墜落した宇宙船に搭乗する女性ヴァイオラを演じたデイジー・リドリーは、本作は「ジェンダー・ポリティクス(性差による政治)を考察している作品」だと述べています。男性にだけ「声」(発言権)としてのノイズが与えられている、という不公平さの描写と考えれば理解が行くものです。しかし同時に、ノイズは男性を苦しめてもいるわけで、それが男性にだけ与えられた特権かというと、どうも違う気がする。男性はノイズに固執しつつ、それに苦しんでもいる。「女性からはノイズが出ない」という設定はとてもユニークで、この映画をおもしろくしているのは確かなのですが、それが具体的に何を象徴しているのか、うまく言い当てられない部分があるのです。

西部劇と現代の分断社会

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「ノイズ」が何のメタファーなのかも、見ているあいだはよくわからなかったのですが、原作小説の著者による説明を聞いて納得が行きました。「今、テクノロジーとメディアを使って、互いに向かって、そして世界に向かって大声で叫んでいます。その叫び合いから逃れられなくなるという段階がやってきたらどうなるだろう、と考えました。それってすごく怖いことです。人間の脳内はとっ散らかっていて、そのめちゃくちゃなものを表してしまうのがノイズなんです」(劇場用パンフレット内インタビュー)。「これまでであれば聞こえるはずのなかった声が聞こえてしまう」現象が、SNSに代表される現代のコミュニケーションです。そう説明されれば、たしかに人びとの思考が手に取るようにわかる世界はすでに到達していると言えます。あまりに見えすぎてしまうがゆえに、分断してしまう。西部劇と現代の分断社会が同時に描かれるというのは高度なドラマだと感じました。アメリカらしさが幾層にも折り重なって詰め込まれたフィルムだといえます。

本作をチャーミングにしているのは、やはり主人公トッドを演じたトム・ホランドのたたずまいです。思考を相手に知られてはいけない、という焦りや恥ずかしさを演じるのがうまい。ちょっと内気で臆病だが、基本的には善良というキャラクターが、殺伐になってしまいそうなドラマを穏やかな雰囲気にまとめあげていました。この初々しさは彼にしか出せないような気がします。また、もし自分からノイズが出てしまっていたらと考えると、恥ずかしくて外出できなさそうです。ヴァイオラ役のデイジー・リドリーは、いかにも英国風のアクセントで主人公と会話し、別の場所からやってきた人物というイメージを出しているのが印象的。米語と英語の響きの違いを計算してのキャスティングだったのでしょうが、こうした細かい工夫も物語のニュアンスをうまく支えていると感じました。

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