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『リコリス・ピザ』と、サンフェルナンド・ヴァレーのおとぎ話

サンフェルナンド・ヴァレーに帰ってきた

ポール・トーマス・アンダーソン新作『リコリス・ピザ』が何より嬉しいのは、それがサンフェルナンド・ヴァレーで撮影されていることだ。PTAの生まれ育った、ロサンゼルスの北側にある住宅地。略して「ヴァレー」と呼ばれることもある。これといって特別なものは何もない平凡な町だが、PTAの初期作品、『ブギー・ナイツ』(1997)や『マグノリア』(1999)、そして『パンチドランク・ラブ』(2002)の一部が撮影されている。「こんなに退屈な町で育ったら、何者にもなれない気がした」と語るPTAだが、彼にとってはインスピレーションの源であり続けた土地だ。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007)以降、大作指向の強かったPTAが、『リコリス・ピザ』でひさしぶりにヴァレーへ戻ってきたのである。初期作品が持つ若さときらめきに満ちた世界へ回帰した、まぶしいフィルムであった。

オープニング。高校の写真撮影のため、写真スタジオに並ぶ主人公ゲイリー(クーパー・ホフマン)と、そのスタジオで働くアラナ(アラナ・ハイム)との出会いのシーンが描かれる。ずいぶん強引に女性と会話したがる主人公と、彼を軽くあしらう女性。ふたりの会話が、長回しで移動するカメラの巧みな横移動をともなって描かれる。このワンカット長回しのスリリングな冒頭だけで、本作がまぎれもないPTA作品なのだと実感できる。すばらしい! 「こんな風に男女が出会う映画を見たくはないか?」と観客を誘っているような、象徴的な始まり方ではないか。主人公は若く起業精神にあふれた青年であり、あれこれとビジネスの算段をつけては、新規事業に乗り出そうとする。ではふたりが恋人同士になるかと思えば、お互いに近づいたり離れたりを繰り返すばかり。ほとんど遊戯のような男女の関係性が、サンフェルナンド・ヴァレーという土地の気取らない雰囲気とマッチして、まるでおとぎ話のようなイメージをもたらしている。

フィリップ・シーモア・ホフマンの息子

「ああ、いま私は映画を見ている!」

私は一度、実際にサンフェルナンド・ヴァレーへ行き、『ブギーナイツ』や『マグノリア』、『パンチドランク・ラブ』に登場するロケーションを見て回ったことがある。日本にもPTAファンは多いだろうけれど、実際にヴァレーへ行った人はほとんどいないと思う。行ってみてわかったが、本当に何もなかった。海外から来た観光客が八王子へ行くようなもので、そこへ行ってどうするという話なのだ。しかし、PTAのファンである私にとっては夢のような町だった。『ブギーナイツ」で、主人公が立ち寄ったレストラン(主人公が座った席には案内してもらえなかった)。『マグノリア』で、黒人少年が警官にラップをしてみせるアパート(本当にそのままだった!)。元クイズ少年が働いていた電機店にも行ったし(実際は電機店ではなかった)、なくした拳銃が急に見つかるガソリンスタンドにも足を運んだ(ごく普通のガソリンスタンドだった)。『パンチドランク・ラブ』の冒頭で、路上にオルガンを持ち出して弾くシーンの倉庫にも行った(すごく遠かった)。実際に町を歩き、バスに乗って風景を眺め、レストランで食事をしたり、コンビニで買いものをしたりした。ヴァレーの空気感、雰囲気を味わい、どのような町なのかを観察し、たくさんの写真を撮った。そして『リコリス・ピザ』には、ヴァレーで私が体験した空気感が確かにあった。「この町へ私は行った」と既視感を覚える場面がいくつかあったのだ。

『マグノリア』冒頭で起こった、飛び降り場面の建物(伊藤撮影)
映画に出てくる場面

私はPTAの大作指向も好きで、作品を見るたびに発見が多くある。『リコリス・ピザ』にあふれる郷愁はよりプライベートだが、美しく心地よいものだった。70年代映画が持っていたきらめき、フィクションならではの荒唐無稽さと輝きを見たような気がしたのだ。たとえば、ゲイリーが見ず知らずの女性とふたりきりで部屋に入った様子を、窓の外からのぞいていたアラナが、ゲイリーと女性が性行為に及んでいる様子を目撃し、失望してその場を去る場面。ここが本当にすばらしいのだ。アラナがのぞき見をやめて立ち去ると、カメラはその姿をロングテイクで追い始めるのだ。女性が歩き、カメラはそれを追い続ける。歩いて、地面に座る人や立ち話をする人の横を通りすぎ、ずんずんと歩いていく様子をカメラはどこまでもショットに収める。現実にはあり得ない、アラナの行動のでたらめさも含め、彼女の感情のたかぶりがみごとに表現されるこの長回しに、「ああ、いま私は映画を見ている!」とただただ仰天してしまうのだ。思うにPTAは、映画の核、本質のような部分をすっと取り出してしまうようなところがある。本作は小さな町で暮らす若き男女の恋愛物語だが、そこには何というか、私が映画に求めるエッセンスのすべてが詰まっているような気がしてならないのだ。

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