『インサイド・ヘッド2』と、自我の解体工事
https://www.disney.co.jp/movie/insidehead2
子ども向け精神分析映画
2015年公開『インサイド・ヘッド』の続編である本作は、愛らしいルックを受け継ぎつつも、徹底した「精神分析映画」として深みのある内容になっていた。エンタメと人間の心理(精神分析)が結合して、子どもにも伝わりやすいストーリーとして構成させる視点の鮮やかさが光る。1作目を見たときにも思ったが、よくこんな映画の企画を通したものだと感心してしまった。ある少女の思春期を描いており、たくさんの場面が身に覚えのあるモチーフに溢れていて、成長するってたしかにこんな感じだなという納得を覚えた作品である。
主人公ライリーは、間もなく高校進学を控えた少女。彼女の脳内で心の動きを司るヨロコビ、カナシミ、イカリ、ビビリなどの感情は、ライリーが日々元気に生きていけるよう精神の調整に余念がない。アイスホッケーに打ち込むライリーは、同じクラブの親友ふたりとの友情を大事にしてきたが、高校のアイスホッケー部には憧れの先輩もおり、認められたい一心で部活動に打ち込むうちに、親友との関係に亀裂が入る。そんななか、ライリーの脳内には激震が起こっていた。ついに彼女に思春期が到達したのである。ライリーの脳内には、シンパイ、ハズカシ、イイナー、ダリィなどの新しい感情が姿を現し、ライリーの心の動きを乗っ取ってしまうのだった。
そして思春期へ
幼い頃から作り上げてきた自我が一応できあがり、それなりの安定性で動いていた子ども時代。それが思春期の到来で一気に変化し、すべてを破壊してふたたび自我というものを作り直さなければいけなくなる、という過程が明快に描かれているのがみごとである。自我の解体工事、とでもいうべき展開に、私自身の思春期の困惑が思い出された。いままだ小さな子どもが、実際に自分が思春期に突入し、混乱のさなかへと叩き込まれる前にこの映画を見ておけば、「自分の脳内で起こっているのは、あの映画で描かれたことなんだな」とパニックにならずに済むかもしれない。また、幼少時代に経験した残酷なできごとを一度封印しておくという描写も、私が過去に読んだ精神分析の本に書いてあったとおりだった。心が成長し、つらい記憶を受け入れられる余裕ができるまで、いったんそのことで思い悩まずに済むような周縁部分に置いておくのである。さらには周縁部分の記憶ダムを爆破して、あらゆる記憶のビー玉を一気に心の中心部へ流し込んでしまうという描写もまた、思春期の激しい感情を示しているようで感動的だ。
最終的には、良い記憶だけではなく、苦い記憶であってもを自分自身を作り上げたものであると認めつつ、不安定な自我と折り合いをつけつつ成長していく道を選ぶというエンディングも、これこそが思春期の乗り越え……と胸を打つものだった。こうしたストーリーを、あくまでエンタメの範疇で展開させるのがみごとである。ひとつだけ気になることがあるとすれば、ライリーという少女はとても優しく思いやりのある両親に育てられており、その結果として健全な自我を育成できているということで、ある種の恵まれない環境にいる子どもはこの映画を見て「自分の心の中心にヨロコビはいない」といった違和感を覚えるのではないか、ということだろうか(ここまでよくできた映画に対しては、やや厳しすぎる感想かもしれないが)。本作が万人に当てはまる普遍的な内容かといわれると、どこか優等生的な部分が存在することは否めないとも感じてしまう。とても好きな映画であると同時に、疎外される子どももいるような気がして、そこだけが気になったが、あるいはそうした子どもたちにも、自分の心の動きを客観視するきっかけを与えてくれるという意味では、確実に意味のある作品ではないだろうか。
【私のインサイド・ヘッドはスキンケアでできています】
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